初等中等教育研究室

調査・研究データ


  【分析2】中学1年生にとっての「テスト」と「主体的な学び」

5.「テスト」と「主体的な学び」

<中学生にとっての「テスト」>

小学校から中学校へ進学した生徒たちが、はじめの1年間に、中学特有の「テスト」に対してどのような意味付けをし、「テスト」とどのように向き合ってきたのかを検討してきた。最初に明らかになったのは、モチベーションの低下が成績を下げるという因果関係ではなく、成績が下がったからモチベーションも下がるといった、逆の因果関係を想定することが重要なのではないかということである。つまり、「配分・選抜機能」の一部として「テスト」が機能することで、やる気をなくしてしまうという生徒がいることを考慮しようということだ。逆に、今回のデータからは、結果が良かった時はモチベーションが上がるという可能性も見えてきた。

あるパネルデータを用いた研究では、家庭環境に起因する学力格差は、小学校の間に維持・拡大されるが、そこには向学校的な「学習態度」と「学力」の間に相互の因果関係が働いていることが報告されている(数実 2017)。同様のメカニズムが中学校に入っても働くとすれば、その際、テストによって成績が可視化されることで、さらにその傾向を強めることも考えられる。

それだけではなく、中学校のテストではさまざまな方法で「努力すること」が求められ、個人差はあれ、生徒たちは努力の重要性を知り、思い思いに努力をしていた。結果的にそれが報われればよいが、報われなかった場合には落胆もするだろう。実際、今回のインタビューからは、「できなかったから逆にモチベーションが上がった」というケースは見られなかった。その意味で、「テスト」は、努力を求めるがゆえに、結果が出なかったときには、その後の落胆ぶりを大きくしてしまっているのかもしれないのである。そして、それらの積み重ねが、中学校に入ってから「勉強嫌い」が増えることにつながっている可能性がある。

<「主体的な学び」に向けて大人ができること>

こんなふうに書いていると、「テスト」を廃止してしまった方が良いのではないかとも思えてくる。しかし、筆者はテスト廃止を主張したいわけではない。事実、テストによって、学習のモチベーションを保つことができたり、学習内容の復習や学習習慣を定着させるための良い機会になっていたりした。また、「主体的な学び」との関連で言うと、これらは「見通しをもって粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる」部分に関わるものである。検討すべきは、テストによってやる気や目標が「失われる」ことをいかに防ぐかということである。もちろん、日々、生徒たちと向き合っている教師や保護者が何もしていないというわけではない。むしろ、さまざまな工夫をしているだろう。ここからは、それを承知のうえで、生徒たちの目線から見て、「主体的な学び」に向けて大人ができることについて考えてみたい。

まず、「テスト」の結果を適切に返すことが必要である。「適切に返す」とは、やる気を失わないように、小さくとも確かな手応えが得られるようにすることだ。特に、はじめてのテストを経験する中学1年生にとっては、より丁寧な対応が求められるだろう。もちろん、教師が個々の生徒にフィードバックを返すことは膨大な時間と労力を要するので、現実的ではないかもしれない。それでも、テストにはどういう意味があるのか、テストの中でどのような進歩があったのかを示していくことが非常に重要であると筆者は考える。

次に、漠然と「テスト勉強」をするのではなく、テスト勉強の具体的方略を示すことが重要である。と言っても、これは非常に難しい。それまでの学習習慣や家庭の学習環境など、生徒たちの条件がさまざまに異なるからだ。ただ、やはり「テスト勉強」のサポートを必要としている生徒には、よき「伴走者」が必要であろう。大人にかぎらず友人でも、よき「伴走者」になれる可能性は十分にある。

また、「テストのための勉強」から、「勉強したことのテスト」へと視点を変えることが重要であるかもしれない。テスト前に一気に勉強を始めるのではなく、日々の学習の延長上にテストを位置づけることができれば、と考える。残念ながら、現段階では抽象的な提案にとどまってしまうが、またどこかで考察の機会を持ってみたい。

最後に、「努力主義」を緩和するということも可能性としては考えられるが、それは一方で、学習時間の格差をさらに拡大してしまうかもしれないという懸念がある。現実的には、むしろ、努力の重要性を説きつつも、自らの学習を振り返る・計画する際に「頑張ったから/頑張らなかったから」ではない言語を用いることが鍵になる。それこそがまさに「見通しをもって粘り強く取り組む」ことにつながるだろうと思われる。

さて、「テスト」における「主体的な学び」について検討してきたが、もちろん、授業の中で、学びそのものの面白さや教科内容の魅力に気づき、主体的に学ぶことが重要である。本稿で指摘したかったのは、それに向けての工夫を台無しにするような「テスト」になってはいないか、ということである。「テスト」は学校教育の社会的機能を具現化するものであるからこそ、新しい学校教育にも開かれていると言えるだろう。そして、「テスト」に向き合う態度の中にも、「学ぶ」ことの楽しさ ―― たとえば、わからなかったことがわかるようになる、という喜び ―― を見出すことができるかもしれないのである。


参考文献

・福沢諭吉(1872)『学問のすすめ』.

・苅谷剛彦(2001)『階層化日本と教育危機』有信堂.

・数実浩佑(2017)「学力格差の維持・拡大メカニズムに関する実証的研究」『教育社会学研究』

 第101集、pp.49-68.

・OECD(2013)「Country Note 日本 Results from PISA 2012」.

https://www.oecd.org/pisa/keyfindings/PISA-2012-results-japan-JPN.pdf

・OECD(2016)「Country Note 日本 Results from PISA 2015」.

https://www.oecd.org/pisa/PISA-2015-Japan-JPN.pdf



「子どもの生活と学びに関する親子調査2016」






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