「発達障害のある人たちの就労に関わる問題」
Kaien利用者 座談会編【前編】

本テーマのフォーラム第5回は、(株)Kaienのご協力のもと、同社のサービスを利用する方々にお話を伺いました。座談会にご参加いただいた当事者の皆さんは、「発達障害のことについて知ってほしい」という思いから、個人的なことも含めさまざまなお話をしてくださいました。
前編では、発達障害という障害を抱えながら就労を目指して訓練を受けている皆さんが、ご自身の障害について、また障害ゆえに感じることについて、語っていただいたことをご紹介します。


<座談会参加者>

Aさん(19歳):自閉症スペクトラム(ASD)。最初に診断を受けたのは6歳の頃で、そのときの診断はアスペルガー症候群。こだわりが強く、話を簡潔にまとめるのが苦手。

Bさん(24歳):中学校1年生のときに自閉症スペクトラム(ASD)の診断を受ける。聴覚過敏があり、人前で報告や発表をすることが苦手。

Cさん(25歳):初めて診断を受けたのは高校1年生のとき。過去にいろいろな診断を受けているが、1つに絞ると広汎性発達障害。

Dさん(24歳):約2年半前に初めて診察を受け、2016年1月に注意欠陥多動性障害(ADHD)の診断を受ける。障害者手帳3級を取得。

Eさん(24歳):5年ほど前にアスペルガー症候群との診断を受ける。得意分野と不得意分野に大きな差があり、興味の対象が限定的。


※本記事では、表現の校正や統一など、編集による改変を極力行わずに、参加者の発言を再現しています。
また、記事中に引用した過去のCO-BOフォーラムに登壇された方々のご所属や肩書は取材当時のものです。

障害への気づき方や気づいた時期は、人それぞれ

―いつ頃、どのような経緯でご自身の障害に気づきましたか?

座談会にご参加いただいた皆さん

Aさん:幼稚園になじめなくて、そのときから「ちょっとみんなと違う」と感じていました。友達の輪に入れなかったり、他の子からキツイことを言われやすかったり。走るのが遅かったり、縄跳びが下手だったりというのもあって、「自分はみんなより劣っている」と感じていました。母親は、幼稚園に入園する前から「病気かもしれない」と思っていたようです。なので、幼稚園通園時から病院にも通っていました。

Bさん:小学生の頃から、なんとなく他の人とコミュニケーションが取れなくて、トラブルばかり起こしていました。クラスメイトとも、話題や波長など、いろんなものが合わない。そんなときに、地域の図書館で自閉症に関する本があったのでそれを読んでいたら、自分にも当てはまるところがあったので、自分は自閉症なんじゃないかと疑うようになりました。

Cさん:僕はみなさんよりも遅くて、高校1年生から2年生の間ぐらいのときですね。中学校の最後の方に、ちょっと体調を崩したりして、学校に行けなくなったことがありましたが、高校の夏休み明けにやっぱり学校に行けなくなってしまって。その際に親の勧めで、病院の精神科に入院することになりました。入院中に医師から発達障害という診断を受けました。
僕の場合は、小学校2年生のときに、一度市内の病院に行ったんです。そのときには発達障害だと言われなかったし、親も「健常者とは違うかも」と思いつつ、診断も出なかったから、障害ではないんだと思っていて、小中学校は普通に過ごしました。その後病院に入院したことによって、そこで障害だとわかったので、親としても何かホッとしたところがあったみたいです。

Dさん:僕の場合は、高校生のときにちょっと環境が変わったことで、勉強や部活動がうまくいかなくなったことがあって、そのときに何かおかしいなっていう感覚がありました。その後入った専門学校を卒業してから、インターネット上の広告でADHDという障害のことを知って、「自分はこれかもしれない」と考えたんです。

Eさん:正確な時期はわかりませんが、母親が懇談会に出たときの他の人とのやりとりのなかで、(息子が病気かもしれないと)疑い始めたと聞きました。


参加者の話から、発達障害があることに気づく時期やそこまでのステップは多様なことがわかります。医学博士の榊原洋一さんの話によると、最初に子どもの行動特性に気づくのは「親」「保育士・教師」「医師・保健師」の3つのケースが一般的。しかし、自分も他者も「人とはちょっと違う」という違和を感じながらも、発達障害だとは気づかず、適切な支援機関にたどり着くことができずに苦労するケースも少なくありません。

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納得感と、受け入れられないという2つの気持ち

―自分に障害があるとわかったとき、どんな気持ちでしたか?

座談会にご参加いただいた皆さん

Aさん:私は、病気だって気づいた瞬間ホッとしました。原因がわからなくて、「何でもありません」ってお医者さんから言われると「じゃあどうすんの」と。何でもなければ障害者の枠には入れないし、普通の人と比べられちゃう。でも病気だって言われてしまえば、「そもそも病気なんだ」って。開き直るとはちょっと違うんですけど、みんなと違うってことを受け入れることで、安心して、そのための対策方法ですとか、障害の種類にあった本を選んで、それを参考にするっていうことはできるので、原因がわかって安心しました。

Bさん:正直に言うと、あまり受け入れることはできませんでした。日本は、周りと違うといじめられたりするので、障害を持ってる自分が悪いんじゃないかって思ってしまいました。

Cさん:僕の場合は、受け入れられたのと納得できなかったのが両方ありまして。受け入れられたっていう面に関しては、自分の今までやってた行動とかそういうことが、障害だってわかったことによって、これは障害だからこういうことやっちゃったんだなと腑に落ちる点もあったので、納得する部分もありました。一方で、障害者って思われて、周りの健常者と違うって思われることに対してはちょっと納得できなかったっていうのはありました。

Dさん:僕の場合も同じような感じで、最初(発達障害の)存在を知ったときは、恐らくこれで間違いないだろうなっていうふうな確信があって、腑に落ちた部分もあったんですけれども。診察を受けて、診断はまだ出ていないものの、お薬を出されまして、それを服薬して、効果があったんですね。薬の効果を実感したときに、僕のなかで、薬が効くっていうことはやはりそういう障害があるんだと思ったという。今まで自分が負ってきた身体のハンデといいますか、そういうものを薬の効果で実感して、その後はちょっと納得できないような気持ちが出てきたっていうことですね。

Eさん:もっと早くに気づいておけばよかったなっていう、そう思いましたね。診断受けたのが遅かった。もっと早くに気づいていればやりやすかったのかなって。


「発達障害だとわかって、ホッとした」という言葉は、発達障害のある人からたびたび聞く言葉です。NPO法人発達障害をもつ大人の会の広野代表は、自身がADHDという診断を受ける前に、「自分でもなぜできないのか、それが分からないのがしんどかった」と話しています。発達障害という診断を受けることで、自分がそれまで努力してもできなかった理由が分かり、理由が分かれば対処法が見えることもあるという事実が、当事者をホッとさせるのでしょう。

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自分はずれているかもしれないけれど、どうずれているのか分からない

―「自分はみんなと違う」と感じてきたことや、障害があることで困ったことはありますか?

Cさん:人がそんなにこだわらないことにすごくこだわってしまったり、逆に人がこだわるところをこだわらなかったり。感覚としてずれてるなとは思うんですけど、はっきり「何がずれてる」っていうのが自分でもいまいちわかってなくて、でも何か違うなっていうのは常に感じています。

座談会にご参加いただいた皆さん

Dさん:僕は高校生のときに料理同好会に所属していたんです。そこで文化祭のお菓子づくりがあったんですけども、そのお菓子づくりが全然上手くいかなくて。お菓子づくりって、料理よりもミスが許されない部分が多いんです。クッキーを焼くなら、すぐ混ぜないとバターが溶けてきてどんどんまずくなってしまうので、手早くやらなきゃいけないんですね。僕はそれが上手くできなかった。結構厳しい同好会だったので、僕だけ夏休みを返上して練習したりして。最終的にはなんとかできるようになったんですが、そういう出来事から人との違いは感じました。


みんな違う、というのは本来当然のことですが、社会のなかには不文律の「普通」があります。この普通と照らし合わせて、「いくらなんでも、このくらいは分かるだろう」という誤解をすることが、発達障害のある子を困らせると特定非営利活動法人 全国LD親の会 東條理事長は言っています。
「普通」を基準にすれば、発達障害に対する理解は難しくなり、他者の「なぜできないの?」という叱責を生みます。一方で、自分の障害に対する自身の理解もなければ、自信をなくしたり、自責の念を強めてしまいます。

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学校に、社会に居場所がない

―日々の生活で感じている困難はありますか?

Eさん:感覚過敏があって、特に聴覚がひどい。ヘッドフォンとかがないと生活ができないとか、そういったところに困難をまず感じます。聞くべき音だけを聞くことができるのが普通らしいんですけど、それができないのが聴覚過敏だそうで、僕も、たとえば騒がしい教室だと、授業で教授が話している声だけを聞きたいのにそれができない、他の騒がしい音も耳に入ってきてしまう、ということはあります。社会的困難としては、流行とかそういったものに興味がなくて、ついていけない。なので、そういうことを強いられる状況では困難が生じますね。

Aさん:自分は長い間、発達障害の「グレーゾーン」にいて、知的障害はないけれど、健常者とも違うという状態で、数年前まで居場所がなかったことです。居場所がないっていうのは、たとえば障害者の特別支援の枠には入れないで、健常者の方と比べられちゃって、比べられてしまったことで自信をなくしてしまうみたいな。通級(※)も少なかったので空きがなくて、結局普通の人と比べられて。できのいい身内と比べられて、「見習いなさい」とか言われてしまって。普通のできる子と比べられちゃうので、それが一番辛かったですね。居場所がないんだな、理解してもらえないんだなって思いました。

※通常の学級に在籍する障害のある児童に対し、障害の状態に応じて「特別な教育課程」により指導することを「通級指導」という。現在は発達障害のある児童の他にも、弱視や難聴のある児童なども通級指導を受けることができる。

Bさん:私の場合は、社会的な困難をすごく感じていました。学校ではみんなにいじめられていて、中学校2年のときに不登校になりました。勉強の方はそこまで問題はなかったのですが、学校に居場所がない。男の子からは叩かれたりもしたので、これ以上学校に行っていたら自分が死んじゃうんじゃないかって思って、学校に行けなくなりました。高校見学でもひどい目にあったので、通信制の高校に行きました。社会が受け入れてくれないっていうのがありますね。社会に居場所がないし、社会は敵だし、人間は敵だ、と一時期そこまで追い込まれました。

座談会にご参加いただいた皆さん

Cさん:こだわり、ルーティーンがあって、それが崩れると居心地が悪くなってしまう。たとえば自分が最後に家を出たときに、火はちゃんと消したかとか、鍵は閉めたかということから始まって、出かけた後も「本当に火を消してきたかな」ということを考えて、「火事になったら大変だ」と勝手に不安になってしまう。それで生活に支障を来すことは今のところないんですが。
あと、とっさの判断をしづらいので運転免許はたぶん取れないというのも、社会的困難ですが、事故を起こすリスクを考えたら取らないほうがいいのかなって、自分のなかで納得はしてます。 障害に対する偏見にも困ります。「障害」っていう言葉が独り歩きして、「あんた障害持ってるの?」ってどんどん悪いふうに捉えられてしまうってことがあります。あとはストレス耐性ですね。怒られたりとかしたときに、耐性があまりついてないのか、人より落ち込むことが多い。この世の終わりのように絶望してしまうこともこれまでの経験であったので、健常者の人が抱えるストレスより、自分のほうが少し重く感じているんだって思うことがあります。

Dさん:現在、生活上の困難は主に2点あって。1点目が、信頼関係が築けている人の監視の目がないと、ちゃんと課題に取り組むことができない部分があるところ。2点目が、特に家だと何かしらやらなければいけないことに対して、自分で動機づけができず、やる気がなくなってしまうということですね。その2点でちょっと困っています。
監視の目と言いましたが、たとえば信頼してる人に「これを今日までに頼むね」と言われたり、あとは同じ場所に好きな女の子がいたり、そういうときだと頑張ることができます。


流行についていけない、不安感が強くて何度も確認してしまう、自分で動機づけができないなどの困難は、ともすれば「誰にでもあることなのでは?」と思われてしまい、それが「困難」であるとはみなされないことも少なくないでしょう。さらに、「自分で何とかすればいいのに」と、改善できない本人を責める姿勢が加われば、発達障害のある人が社会生活において感じる困難を高めてしまうことになります。

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他者より得意なこと、苦手なこと

―ご自身が他の人よりも得意だと思うこと、苦手だと思うことをそれぞれ教えてください。

Aさん:絶対音感とかそういうのを、生かそうかなと思ってます。それで就職するわけではないんですけど、趣味で音楽聞いたりするときに生かしたい。暗記も得意です。たとえば誰かに「これどこにやった?」って聞かれると、「そこだよ」と言える記憶力。みんなの覚えてない過去を覚えているんです。それこそ2歳の頃も覚えてるぐらいなので、そういうところは生かせばいいかな。アスペルガー症候群でこだわりが強いんですが、そのこだわりを何かに生かしたい。
自分の苦手なことは、空気を読むこと。コミュニケーションの仕方や場所を間違えて、ちょっと場違いなことをしちゃったこともあります。あとは、健常な方と打ち解けるのが苦手ですね。正直言うと、健常な方を友達にするのが怖いと思ったことがあります。

座談会にご参加いただいた皆さん

Bさん:得意なこと、あまりよくわからないんですが、作業理解とスピードが早いっていうのはKaienの訓練でも言われますし、自分でもそうなのかなとは感じます。経験上、人に優しくすることができますね。思いやりはあります。
(苦手なことは)プラス思考が全然できないっていうのがあります。不安感が強いといいますか、今までひどい目にたくさんあってきたので、人に優しくされたりしても素直に信じられない。人から高く評価されても、「本当にそう思ってるのかな?」って疑ってしまうところがあります。

Cさん:得意なことは、記憶力ですね。いい記憶も覚えていれば、嫌なことも覚えています。発達障害の人のなかにはコミュニケーションをとることが苦手な人も多いといいますが、僕はそれはあまり言われたことがなくて、発達障害のある割には、結構しゃべれるのかなとは思います。人のことを考えすぎちゃうぐらい考えちゃうので、ありがた迷惑になったりすることもあります。考えることがもともと好きなので、考えることは得意だと思っています。
苦手なことは、不器用なこと、あと臨機応変な対応とかとっさの判断が苦手なので、いろんなことを同時に言われたり、急にいろいろやってと言われると、上手く対応できません。それと、ポジティブになれない。いいことがあってもすぐに落ちるだろう、みたいなこと考えてしまって、テンションが上がることがあまりないですね、基本的にマイナスのことを考えてしまう傾向があります。

Dさん:中学生のときは、授業理解がある程度早い方でした。高校生のときは、テストの点数にばらつきはありましたが、きっちりやれば勉強はできるほうなのかなと思います。いまKaienで受けている訓練のなかでは、他の人に比べると、相手の背景を考えてその行動の理由を質問したり、解決策を提案するみたいな部分は相対的に優れているかなと思います。
次に苦手な部分は、長期的な勉強の進捗の管理みたいなこと。中長期的な目標を立てて、それに向かって自分だけで努力するみたいなことは苦手なのかなと思います。

Eさん:診断を受けた結果を言うと、計算は得意です。論理的な思考も得意で、言語能力が高いみたいです。苦手だと思うこととしては、空間把握能力です。立体図形を想像することができません。なので、パズルや積み木も苦手です。手先の不器用さともつながりますが、絵を描くことも苦手です。


参加者の話からは、就業移行支援サービスを利用することは、自分のできること、できないことを「客観的に理解する」ことにつながっていることがわかります。(株)Kaienの鈴木代表の話でも、「客観的な理解」には特に力を入れているとの話がありました。

後編では、就職活動で発達障害があることで彼らが直面する困難や、働きやすい/働きづらいと思う職場について、また「働く」ということについての彼らの話を紹介していきます。

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【企画制作協力】(株)エデュテイメントプラネット 山藤諭子、柳田善弘

【取材協力】株式会社Kaien、座談会にご参加いただいた皆さん

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