社会に役立つ人としての土台創りは、日々の生活の中にある
学校法人自由学園

現代資本主義社会は社会的役割を高度に分業し続けることで急速な発展を遂げてきた。一方、学校教育では因果関係の確定した学問体系を学ぶことに専ら注力してきた。昨今、この社会からの要請と学校教育の在り方との乖離が一層激しくなっている。そこで起きている最大の問題の一つは、日本の子どもたちの学ぶ意味が分からずに学習意欲が低下するという傾向が続いていることだ。

そんな中、学校の学びと社会をつなげる試みが各所で始まっている。それらの試みにほぼ共通する狙いは、手法や程度の差はあるものの、社会あるいは集団生活の中で求められる役割を子どもたちが実際に担ってみるという経験機会の提供だ。子どもたちの意欲を引出しつつ、試行錯誤を通して社会性や多様性を学び、社会で「役に立つ人」として育つための教育実践を考えてみたい。

(BERD編集長・石坂 貴明)

今回は、生活こそ教育そのものであるという「生活即教育」を掲げ、大正時代から実践を続けている東京都東久留米市にある学校法人自由学園を訪ねた。

3万坪のキャンパスと大切に手入れをされて来た学び舎


生徒によって手入れされている芝生や木々

学校法人自由学園は、西武池袋線ひばりヶ丘駅から徒歩8分、都内でありながら3万坪という広大なキャンパスで、幼稚園から大学にあたる最高学部までの一貫教育が行われている。学園町として整地された緑豊かな街並みの中にあるが、創立者である羽仁吉一・もと子夫妻が、創立当初の手狭になったキャンパス(現・重要文化財自由学園明日館)から移転するためにこの一帯で10万坪にあたる土地を入手し、住宅用地として分譲した7万坪の資金を校舎建築費用に充てたと言われている。


趣のある木造校舎

校門から学園の敷地内に入ると、手入れの行き届いた芝生と見事な木々、タイムスリップしたかのような古い木造校舎が目に入る。学園内のあらゆるものが大切に使われ、受け継がれてきていることがすぐにわかる。

校舎の多くは、旧帝国ホテルも手がけた世界的建築家フランク・ロイド・ライト氏の弟子である遠藤新、遠藤楽父子による設計で、食堂や講堂、体操館等の5つの建物が、東京都選定歴史的建造物に指定されている。

片手に鐘を持って鳴らしながら走る初等部の児童に出会った。「鐘鳴らしの係」と呼ばれる当番の男子児童が、その日1日の始業と終業時間を初等部全体に知らせる役目を担っているのだ。

広いキャンパスを案内してもらいながら、学園長の矢野恭弘先生、初等部副部長の浅川曜子先生、幼児生活団部長の須永幸代先生、学園広報本部吉田直樹さんにお話を伺った。

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クラスの人間関係と上下関係を深める最長19年間の一貫教育

まず、同学園の概要だが、幼稚園にあたる幼児生活団、小学校にあたる初等部、中学校と高等学校にあたる女子部の中等科と高等科、男子部の中等科と高等科、さらに大学にあたる最高学部がある。

それぞれの専用敷地がキャンパス内に分けられている。生徒数は女子部のみ50人を2クラスに分けられており、ほかは1学年1クラスで各40名定員、全体で約800人という少人数制一貫校となっている。最高学部は男女共学の4年課程と女子のみの2年課程があり、幼児生活団の年少から最高学部卒業まで通うと19年間の一貫教育となる。しかし、幼児生活団から入園する子どももいれば、その後公立小学校に通い中等科から再び入学する子ども、寮があるため地方から中等科に入学してくる生徒などさまざまだという。最高学部はそれまで学園生活で学んだことを土台に、社会に役立つ力にまで高めることをめざしており、実践に即して幅広い分野を学ぶ「自由学園型リベラル・アーツ」を特徴としている。

自らもOBとして寮生活を経験してきた広報本部の吉田さんは次のように話す。
「男子部は中等科に入学して1年間の寮生活が必須です。小学校卒業後にすぐ保護者の元を離れて6〜8人の相部屋で集団生活をします。その後はいったん寮を離れても、下級生全体をまとめる高等科3年になると、ほぼ全員が寮生活に戻ります。学園では全員に必ず何らかの委員が回ってきますが、女子部でも委員期間の約2ヶ月間は寮生活をします。」


委員会の話し合いをする生徒たち

芝生や木々の手入れ、給食から掃除まで、学園運営の多くを学生・生徒が担うことを通して、クラス内での横の関係はもちろん、上下関係やそこから生まれる責任感と連帯感を育んでいるのだ。

1学年あたりの人数は40〜50名であり、寮生活も含めて長い年月を共にすることが分かっているので、そりが合わないなどとは言っていられない。何か問題が発生したら、ときには他の学年の児童生徒も巻き込みながら、とことん話し合って解決していく。

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 知育偏重でない「生活即教育」と「自労自治」の実現をめざす

では、永い歴史を持つ学校法人自由学園の創立時の経緯、建学の理念はどのようなものだったのか。

「1921年、東京都豊島区で小学校を卒業した26人の女子生徒を迎え7年制の女学校として始まりました。創立者の羽仁吉一・もと子夫妻の三女である恵子さんが小学校卒業時に進学先が決まっておらず、教師から「羽仁さんのお宅はご自分で学校をなさるのね」と言われたことが、学園創立を後押ししたのです。当初は『羽仁さんの学校』とも呼ばれていました」と吉田さんは言う。

羽仁夫妻は、ともに報知新聞社で第一線のジャーナリストとして活躍していた。当時の報知新聞は「東京五大新聞」の一つであり、もと子氏は日本初の女性記者となった。それ以前のもと子氏は、青森県八戸市から上京して教鞭をとっていたこともあったが、娘二人が通うようになった当時の学校教育にあきたらず、夫妻で「いつか自分たちで学校をつくりたい」との願いを持っていたという。

夫妻は新聞社を退職後、「よい家庭からよい社会をつくる」と提言する雑誌『家庭之友』を1903年に創刊し、これが前身となって1908年から現在も出版が続く『婦人之友』を発行。そこに「『自由学園』の創立〜私共同志の新事業にご賛同を願います〜」という11ページにわたる記事を掲載し、全国の読者の家庭から生徒を募集した。夫妻の考えに共鳴共感した読者の子どもたちが、家庭生活を大切にする雑誌を通して集まった。

矢野学園長は、創立者の願いが今でも脈々と受け継がれていることをこう話す。

「生徒たちが自分たちでできることは自分たちでやるという『自労自治』の精神と、本物に触れ、本物を体験することを大事にしています。『生活即教育』の考え方で、家庭と学校が力を合わせて子どもたちの成長を見守ります。」

「生活即教育」「自労自治」「本物に触れる」という理念が実践されてきたことは、キャンパスを眺めるだけでも納得できる。広大なキャンパスと樹木、畑などは、各部ごとに「自治区域」として分けられ、清掃だけでなく設備や備品の修繕、補修、芝刈り、樹木の剪定(せんてい)も含めそのほとんどが児童生徒たちの手によって行われ、維持管理されているという。

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就学前には「自分のことは自分でする」生活習慣を身につけることから始める


遊具の一部は最高学部の学生が制作

最初に幼稚園にあたる幼児生活団を訪ねた。

幼児生活団は1939年に創設され、当初は週に一度の集合日以外は家庭で過ごすという独自の教育を行っていた。現在は平日毎日の通園で、家庭と連携しながら「よい生活習慣を身につけ、心身の自立と健やかな成長を育む」ことをめざしている。


七夕飾りをする子ども

「生活団」という名が示すように、普段の家庭生活の中で幼児が手洗い、うがいなど自分のことが自分でできるよう、各自が「はげみ表」を使って生活の基礎づくりを行っているのだと、部長の須永先生に伺った。

園庭の園児たちは、それぞれが声を掛け合いながら自由に遊び、先生は具体的な指示をするのではなく、興味を広げることや安全面に配慮しながら見守っている。園庭の傍らには七夕飾りがあり、子どもたちは交代で自分が作った飾りを笹の葉に結びつけていた。

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命を育み、いただき、形を変えて残すまで学ぶ蚕の飼育


それぞれ工夫をこらして制作した糸巻き具

次に、初等部4年生の理科で、蚕の繭(まゆ)から糸を取る授業を見学した。
児童たちが使っている糸巻き具は、事前にペットボトルや空き缶、針金などを使って、各自が工夫を凝らして制作したものだ。ビーカーの水に浸して熱処理をした繭から糸を取り出し、それぞれの糸巻き具を使い、ひたすら糸を繰っている。一つの繭から取れる糸の長さを測るため、糸巻き具を回しながらときおり「正」と書き込み、途中で数えるのに疲れて休みながらも、糸が切れないように手を添え、切れたらつないで回転数を数える作業を根気よく続けていた。小さな一つの繭玉から延々と長い糸が巻き取られていた。


自分で育てた蚕を煮る

浅川先生はこれまでの蚕の授業について話してくれた。

「子どもたちは卵がふ化するところから毎日世話をしていました。虫が嫌いな子どももいますが、一人5頭ずつ家に持ち帰って、蚕が脱皮を繰り返して繭になる様子を観察しました。蚕から蛾になった『完全変態』を目にして理解を深め、校内にいるバッタやコオロギは『不完全変態』だと違いを学ぶのです。卵を産ませるために蛾に交尾もさせました。どの子どもも自分たちの手で育て、生命の神秘を感じた繭を煮ることや糸を取ることには葛藤があります。特に今日は、命をいただくという意味を考える授業を経てから臨んでいるため、子どもたちもそれぞれが考えることがあるのでしょう。また、繭から糸を取って終わりでなく、しおりなどの作品として残すように促しています。命が形を変えて手元に残るところまで授業として取り組んでいます。」蚕の飼育を通して子どもたちは多くを学んでいる。


1つの繭から取れた糸の長さを計算して報告

糸を巻き取り終わった子どもたちは、自身が制作した糸巻き具の大きさと回転数から糸の長さを計算し、報告用の模造紙に書き込んでいった。数百mから1000m以上までさまざまな報告があがる。浅川先生から「一つの繭から長いと1500mほどの絹糸が取れます」との説明を受けた後、子どもたちは一人ずつ感想を述べていった。

「糸はすぐ切れたり、ダマになったりするので、つなげながら回転を数えるのは大変だった」といった糸取り作業に対する感想から、「小さな一つの繭から1kmもの糸ができるのがすごいと思った」、「ほどけるとき、繭から8の字になってほどけていた」といった蚕と繭の観察を経ての気づきや感想、「蚕ががんばってくれたから感謝しようと思った」といった、蚕の命に寄せる思いを述べる子どももいた。クラスのお友達の感想に耳を傾けながらノートに追記する児童もおり、さらに気づきを深めている様子だった。

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子どもの「よく見る、よく聞く、よくする」という態度を大人が促す


浅川先生も自由学園の卒業生

この授業は同学園で毎年4年生に行われる授業だ。自然に恵まれ、教材が豊富にあるキャンパス内では、川ひとつをとっても理科で観察をし、社会で地形や人々の暮らしを見て、算数で川幅を計り、国語でレポートを書くといった、教科を横断して学びを深めることができ、子どもの学びには理想的な環境だと浅川先生は言う。

初等部はその環境を存分に活かしながら、「よく見る、よく聞く、よくする」という創立時からの指針を軸とした、6年間のカリキュラムになっている。浅川先生は、この指針を意識した声かけにつて話してくれた。「蚕のスケッチで正確な足の本数まで描くようになったり、糸を吐いて繭ができていく様子を見ながら『パリパリって繭の音がパキパキに変わってきた』と言ったり、子どもたちからいろいろな発見があります。虫が好きではない子どもには『そろそろカエルが目を覚ます頃だから、見たら教えてね』と言えば、カエルを嫌いにはなりません。」


生徒には対象をよく見て、よく聞くように促す

たとえ恵まれた自然環境でなくても、子どもの目線に大人が合わせて見守りながら、一緒に驚くことができればよいのではと浅川先生は続ける。

「成長に合わせて子どもは目線が上に向いていきます。例えば、幼児が地面の、アリに集中している時期には見守ってあげる。子どもがアリを見ながら『なんで○○なの?』と聞いてもすぐに説明しようとせずに『なんでだろうね』と一緒に不思議がると、子どもから『こんなことがあったよ、あんなこともあったよ』と見つけてくるので、それをつなぎ合わせて一つのことを明らかにしていきます。『わあ、そうなんだね』とお父さん、お母さんも一緒に驚くことができると、家庭教育も楽しいと思います。」

同学園の初等部での評価はどのようになっているのか。

浅川先生は「基本的な学科試験は必ず行いますが、成績はお友達と協力して共同生活ができているかが重視されます。初等部では、年1回、修業証とともに『◎○△』の三段階評価が渡されます。保護者とは、成績評価よりも子どもたちが毎日つける日記をもとに成長を見つめ、毎月の父母会、保護者面談などで、学校生活全般について連絡を取り合っています」と言う。

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学園内でさまざまな産業を営み、学びにしていく

お昼の時間には、初等部の昼食の時間を見学した。


初等部は父母が交代制で昼食を作る

学園では「食」を人間教育の大切な柱としており、羽仁もと子氏の「冷たいお弁当では、育ち盛りの子どもの肉体にも精神の発達にもよくない。ぜひ温かい食事を同じ時間に同じ場所でいただく学校に」との願いから、開校翌日には「温かい昼食のある学校」を実践したという。

現在も女子部では中等科1年から高等科3年まで、毎日学年ごとに交代で、薪で炊き上げる大釜のご飯とともに女子部300人分の昼食を作る伝統が続いている。その薪は、最高学部の学生が学園内の樹木を管理・手入れしたものも使うという。男子部は週1日だけ高等科2年が作り、その日以外の男子部、幼稚園、初等部は、父母が交代で昼食を作りに来る。学園内には8つの台所がある。

この日も初等部には各学年から当番の母親が6人、白いスモックを着て台所で忙しそうに昼食を作っていた。この日の献立は、ゆかりご飯、鯖の竜田揚げ、わかめときゅうりの酢の物、切り干し大根の味噌汁、キウイフルーツ、カップヨーグルト、麦茶と、バランスのよいメニューとなっていた。


食堂には各学年の取り組みとそれぞれの産業との関わりの図を掲示

学園全体の食材の調達や栄養管理などは、「食糧部」という部門が一括して担っており、安心・安全な食材の調達に努めている。地元東久留米産の野菜や男子部中等科3年の「産業」の授業で、養豚、畑などのグループに分かれて育てる食材を使ったり、女子部が学園内の畑で育てる20種類以上の野菜も使われる。さらに、最高学部生が卒業研究として献立の管理や食材発注などのシステムを開発して実用化したものを使っている。

学園の食事で提供されるパンは自前のパン工房で焼かれている。学園に隣接した旧男子寮を改装した建物「しののめ茶寮」は近隣に開放された施設としてカフェや乳幼児のための遊び場もあり、卒業生らも協力しながら、パンやクッキーの製造、販売、通販の業務を行っている。

これらは生活を支えるさまざまな産業が学園内で営まれているということであり、食堂内でもその取り組みを学びに変えるための掲示物が散見された。

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一斉昼食の場と時間を活かして、習慣を身につけるカリキュラム


高学年の生徒が早めに来て配膳をする

昼食時間になると、まず初等部の高学年の児童が天井の高く明るい食堂棟に集まり、テーブルを拭き、人数分のランチ皿を用意するところから始まる。準備ができたところで、食堂の外で待っていた低学年の児童が賑やかに席につく。配膳や片付けなどの係が各学年で決まっており、最後の皿洗いまで全員で役割をこなすことが毎日の習慣となっている。


食堂の外で待っていた低学年の生徒たち

食べ物のアレルギーがある子どもは別テーブルに座るが、概ね1〜6年生各1人、6人ずつで一つのテーブルを囲んで着席し、約1ヶ月は同じグループで昼食をいただく。学年別に座席の位置が決まっており、「テーブルマスター」として6年生はテーブル全体を見渡せる席に、その右隣りに5年生が座り、二人の間に配膳台とお茶、白い大皿が置かれ、同じテーブルにいる下級生らの面倒をみるようになっている。当番が下級生には少なめにするよう配慮しながらご飯やおかずを盛りつける。


グループ内で食べ残しを減らす

白い大皿には食べる前に、残しそうな食べ物を自己申告してのせる。ただし、嫌いなものを全部その大皿に入れてはならず、必ず半分は食べるルールになっている。大皿に戻された料理を同じテーブルのメンバーが食べたいと思ったら、自分の皿に取る。そのように融通をきかせて食べ残しを減らす習慣を身につける。


先輩や後輩の顔を覚える大切な時間

昼食時間は「ディナーベル」という楽器を合図に使いながら、当番が進行を務める。その日の調理を担当した母親の話を聞き、全員で感謝の気持ちを込めて拍手をする。司会の6年生が感謝のお祈りをして昼食が始まる。1ヶ月毎に変わるグループでの昼食を通して、子どもたちは学年を越えてお互いを認識する。賑やかに話しながら食べるテーブル、テーブルマスターが世話を焼きながら食べているテーブル、静かに食べ進めているテーブルがあり、それぞれ上級生のカラーも出てくるという。

食後には教師側から季節やその日に合わせた短いお話がある。また、子どもたちの係からの気象観測(気温、湿度や雨量)の報告、見回り報告、落とし物の報告があり、その後、鐘を鳴らして始業を知らせていた「鐘鳴らしの係」の男子児童が前に立ち、鐘を鳴らした時間に定刻より少しずれがあったと報告し、謝っていた。


高学年生の係の姿を見て学ぶ低学年生

児童が自主的に失敗や迷惑をかけてしまったこと、反省すべきことを初等部全員の前で正直に話す。ガラスを割るなど学校のものを壊してしまったとき、子どもたちはこの時間に皆の前で告白し、以後は気をつけることを宣言する。

子どもたちにとっては、「悪いと思ったらすぐに謝る」という習慣が身に付き、「恥ずかしいから同じ失敗を繰り返さないようにしよう」とする気持ちも働く。周囲もそれを受け入れる寛容さを養う。卒業生にとっては、この時間に皆の前に立ったことは、懐かしくも少し苦い思い出として印象に残っているようだ。


皿洗いも係で決まっている

昼食が終わると、一斉に後片付けが始まる。役割が決まっているので、動きはスムーズだ。各グループから皿洗いをする係が台所に向かい、食器を運ぶ係や残飯を処理する係が続く。木製の重い椅子をテーブルに上げ、清掃が始まる。これにも役割分担があり、1年生もぞうきんをかけながら、上級生に掃除の仕方を教わっていた。

異年齢合同の昼食を通して、身につけるべきことが考え尽くされたカリキュラムとなっていることがわかる。

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上級生がロールモデルとなって下級生を育てる小さな社会

午後には男子部と女子部を含めたキャンパスを見学した。

学園内の木製のテーブルやベンチなどは男子部の生徒が作ったものだそうだ。

本物に触れるという点では「機械式の腕時計を分解して組み立てる授業もあり、かつては自転車の組み立ての授業もありました」と、広報本部の吉田さんが説明してくれた。

ほかに栃木県那須野ヶ原に稲作と酪農農場を、栃木県黒羽、埼玉県名栗、三重県海山にスギ、ヒノキの分収契約をしている造林地があり、高等科になると1週間〜10日間泊まり込みをしながら、現地での働きを通して学ぶ。


広大な芝生と女子部の体操館

女子部の敷地内には、キャンパスのシンボルとなる1500坪の大芝生が広がっている。大芝生では年に1度幼児生活団から最高学部まで全校で、デンマーク体操を中心に演技発表する体操会が行われる。この大芝生は女子部高等科1年生が担当して芝刈り、除草、肥料散布などの手入れと、年1回、春先の芝焼きも行う。見学させてもらった日も芝刈り機を使って手入れをしていた。

高等科2年は「衣類管理室」を担当して、学園内のカーテンやシーツ、テーブルセンターの洗濯や毎日掲揚する校旗の縫製なども担当する。


創立者の思いを語る矢野学園長

同学園には保護者が通っていたので子どもも希望して通うケースも多く、二代目、三代目、なかには「うちの家族では、私が四代目なんです」と言う女子生徒もいた。他校には見られない「生活即教育」「自労自治」という教育理念を一世紀に渡り実践し続けてきた同学園は、どのような社会人像をめざしているのか。矢野学園長にお話を伺った。

「創立者の言う『自ら教育せんとする気概』、つまり、受験や肩書き、資格試験のために勉強するのではなく、自ら進んで学ぼうとする気持ちが大切です。また、上級生が下級生の面倒をみたり、最高学部の学生においては、初等部の水泳指導についたり、遠足と呼んでいる登山にも付き添い、中高生の勉強もみます。学校行事は教師もアドバイスはしますが、上級生たちを見ながら児童生徒たちがすべて運営するようにしています。その中で自主性、リーダーシップ、仲間と協力していくこと、自分の考えを発表することなど、頭だけでなく身体も心も使って育まれます。よく考えることのできる頭と、健康でよく働ける身体と、自分のためだけでなく人のために力を尽くそう、社会をよくしていこうとする心を育てているのです。」


それぞれが自分のできる役割を全うする
(写真は初等部)

また、矢野学園長は「責任が人を教育する」と言う。生徒たちは全員が得意なことも不得手なこともすべてをやることになっている。

中等科以上には委員会組織があり、例えば女子部では中等科1年から高等科3年までは各クラスで3〜4人の委員が全員に名簿順に回り、庶務の部、食の部、住の部、農芸の部の計26名が約2ヶ月間、委員会を構成して責任を持って役割を担う。初めて委員になる生徒は上級生から学ぶしかない。

矢野学園長は言う。「下級生は自分もあのようになりたい、と上級生をロールモデルにします。高等科3年になると委員長が選出されますが、教師より委員長のほうが影響力はあるかもしれません。この学園は一つの小さな社会です。」

同学園の出身者は、多様な分野で活躍している。社会に出てからの卒業生の評判を聞くと、「気が利いてとても役に立つ」と言われることが多いそうだ。そのことは、言い換えれば、相手の気持ちを汲んで行動ができる人間であることの証明であり、企業が若者に最も求めるコミュニケーション能力がとても高いという褒め言葉でもあるだろう。

 

それぞれの役割の意味を示すことが必要

矢野学園長は「自由学園の子どもたちは忙しい」と言う。自労自治を実践する自由学園では、ごく一部の危険な作業を除き、ほぼ全ての運営が児童生徒たちによって行われているためだ。

そして、それぞれが責任を果たすことで周囲や学校が良くなっていく経験を積み重ねた子どもたちが、卒業してからは「(自分が所属する)社会に役立つ人になろう」と考えるのは自然なことであり、それこそが社会に求められる姿勢なのだろう。

しかし、単に生活をしているだけでは、学びにはつながらない。生徒たちが、一つひとつの取り組みを行いながら、全体の中でどのような役割を担っているのかを理解し、そしてその取り組みを通して社会が良くなったという実感を得る。そんな学びの機会を提供することが、周囲の大人に求められているのかもしれない。

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