震災をバネにする石巻、
街そのものが大きな学校へ

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この連載が始まってから、ずっと取り上げたかった場所がある。学校でも施設でもない、宮城県石巻市だ。

石巻では高校生たちが率先して「未来」をつくっている。わずか4年前、大きな津波が大勢の命を奪った時、この街の未来は一度消えかけた。しかし、今ではこの石巻に、大げさではなく、この国で最も希望の持てる「未来」が見えてきた。

アート、建築、エンターテインメント、IT、広告など各界のトップレベルのスターが、バスやレンタカーでないとたどり着けないこの地に通う。彼らがプロのカッコイイ仕事ぶりを見せることで、その背中を見て奮起した高校生たちが、実際に街へ飛び出した。こうした素晴らしい循環が、自分たちの、ひいてはこの国の未来をつくり始めている。

石巻という場所自体が大きな学校だ。ここでは、多くの子どもたちが復興のために行動することで生活とは何か、仕事とは何か、未来はどうあるべきかをその身体で学んでいる。石巻は、日本で一番「未来」が詰まった学校だ。

【取材・執筆】 ジャーナリスト・林 信行
【企画・編集協力】   青笹剛士(百人組)

 2015年、いよいよ公共交通機関が復旧する

東日本大震災以前、仙台駅から石巻駅へは約30分間隔で出発しているJR仙石線一本で行くことができた。しかし、現在仙石線の一部区間は不通のままだ。石巻を訪れるには、津波被害を受けた東北地方沿岸部の他の地域と同様、時間も手間もかかる。

ところが、2015年は石巻にとって大きな年になりそうだ。3月に石巻線が全線復旧し、6月頃には仙石線が全線復旧する予定だからだ。今年の「川開き」はさぞかし盛り上がることになるだろう。「川開き」とは、石巻で毎年7月の終わりに行われている祭りのこと。日本全体が自粛ムードに包まれた、あの2011年でさえ開催された。

石巻は、東日本大震災で甚大な被害を受けた。地震の震度は6強で、市役所の一部が崩落。その後、まもなく津波が押し寄せて、沿岸部をはじめ各地が水没した。津波は市の中心を通る旧北上川を逆流して、多くの家々や思い出を流し去っていった。

そんな2011年に川開き祭りをする話が出た時は当然のように、「こんな時に」という声も出たそうだ。しかし、やがて「こんな時だからこそ」という声が強まっていったという。川開きは、実はもともと水没者のための鎮魂の祭りだったということも後押しとなった。かくして祭りを望む人々が結束し、1万個の灯籠流しや川開きウェディング、石巻市民の誇りである川開きの花火も打ち上げられた。以来、石巻が最も盛り上がる川開き祭は、街にとっても特別なものとなった。

 石巻STAND UP WEEK開幕

2014年の夏、川開きに合わせて石巻市全体で子どもを対象としたアート、不動産/建築、古本、パフォーマンス、漫画、ゲームなど、多くのイベントが同時多発的に行われた。それにあわせて、紅白歌合戦でのPerfumeの演出などを手がけ、世界から注目を集めている気鋭のデジタル集団、ライゾマティクスの齋藤精一氏やNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも取り上げられた有名エンジニアの及川卓也氏、数々のヒット曲を生み出した音楽プロデューサーの小林武史氏など、それぞれの業界のスターたちが石巻に集結した。

「石巻を復旧するのではなくバージョンアップする」を旗印にした活動体「ISHINOMAKI 2.0」は、川開き前の1週間を「石巻STAND UP WEEK」と呼び、企画運営やガイド提供などをしている。そのガイドで紹介されているものだけでも、約1週間に53個ものプログラムが行われていることがわかる。

<参考> http://suw.ishinomaki2.com/content/

筆者は今回、その「石巻STAND UP WEEK」をきっかけに初めて石巻を訪れた。イベントの多さと合わせてびっくりしたのが、中高生と思しき若者の多さだった。どこに行っても学生が溢れ、「日本の地方都市は高齢化が進んでいる」という従来のイメージが覆されたぐらいだ。しかも、友達とお祭りをただ楽しんでいるだけではなく、大人たちと一緒に「石巻STAND UP WEEK」のイベントのつくり手側に回っている高校生も少なくない。プログラムへ自主的に参加するのはもちろん、場合によっては高校生主導でファッションショーやカフェなどの企画・運営まで手がけているのだ。

今回、「石巻STAND UP WEEK」のすべてを取材できたわけではないが、いくつかのイベントの様子を紹介することで、この街の復旧にとどまらない明るい未来を感じさせるエネルギーを伝えたいと思う。

 

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