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新しい時代のwell-being 各界で活躍する20代・30代に聞く

 様々な場所で色とりどりに活躍している20代、30代。彼らのインタビューを通して、これからの社会で活躍し、「Well-being」に生きるためのヒントを探っていきます。
 今回は、東日本大震災を機に東京の大手経営コンサルティング会社を退職し、岩手県釜石市役所の職員として復興や地方創生に尽力後、現在は青森大学准教授として活躍する石井重成さんにお話をうかがいました。

予測できない未来を選ぶ
釜石で課題に挑み続けた9年間

石井 重成
  • 石井 重成 いしい かずのり

    青森大学社会学部 准教授
    1986年生まれ。愛知県西尾市出身。国際基督教大学を卒業後、大手経営コンサルティング会社を経て、2012年に任期付職員として岩手県釜石市役所に入庁。半官半民の地域コーディネーター「釜援隊」の創設、グローバル金融機関と連携した高校生キャリア教育、広域連携による移住・創業支援、ローカルSDGs等、人口減少時代の持続可能なまちづくりを推進。市総務企画部オープンシティ推進室室長として、地方創生の戦略立案や官民パートナーシップを統括。2021年の任期満了後、青森大学准教授に着任。(一社)地域・人材共創機構代表理事、(一社)明和観光商社共創フェロー、総務省地域情報化アドバイザー、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師等。

「ここにいないでどこにいるんだろう」
自分が解決すべき課題はここにある

 2011年東日本大震災が起きた時、私は東京の大手経営コンサルティング会社で働いていました。震災から1年後、プライベートで訪れた被災地で、報道で見た震災直後の被害と変わらぬ状況を目の当たりにしました。

 当時26歳の私はコンサルタントとして企業の課題に取り組む日々を送り、その仕事にやりがいも感じていました。しかし、被災地の状況を見て、「いま取り組む課題はここにある」と直感しました。そして、私は3年半勤めた会社に退職届を出しました。

 いま振り返ると、私はその先を予測できる人生からはみ出すことを求めていたのかもしれません。希望通りの大学に入学し、大学で学んだことを生かせる仕事に就くことができました。そのまま勤めていれば、10年後の自分の姿もなんとなく想像できますし、安心感もあります。

 しかし、個人で会社やプロジェクトを興したり、海外で仕事を始めたり、自分なりのチャレンジをする同年代の友人の活躍がSNSを通じて入ってきます。彼らのチャレンジを見聞きする中で、「自分も安定したルートを飛び出して、自分だけのキャリアをつくってみたい」という衝動に、心の奥底では駆られていたのでしょう。そうした気持ちが、私を被災地で働くことに向かわせたのだと思います。

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「何に困っているか」聞いてまわることから始まった
釜石での課題解決

 岩手県釜石市に縁をいただき、2012年、市役所の任期付職員として働き始めました。当時は、連日、復興に関する住民説明会が開かれ、そこは住民の怒号が飛び交う混乱状態でした。多くの住民が仮設住宅で暮らし、生活基盤である住居の問題さえ解決の目処が立っていません。誰の目から見ても、課題は山積していました。

 私は釜石に行く前に自分が釜石に行ったらできるかもしれないと思ったことをメモにまとめていましたが、生活に困り果てている住民の姿を見て、自分が計画していた問題解決に取り組むよりも、まず住民の声を聞かなくてはならないと感じました。どんな小さなことでも、この体と頭を使ってやれることをすべてやろうと決め、私は住民や支援団体らに「何に困っていますか?」と聞いてまわり始めました。

 この中で見えてきたのは、市役所と地域住民の間に溝があることでした。それだけではありません。首都圏から多くの企業や団体が支援を名乗り出ていましたが、それらがうまく機能していないことも少なくありませんでした。

 住民と行政、住民と企業の「分断」を解消することが、復興に向けて重要ではないか。そう感じた私は、行政・企業と住民の間に入って問題を解決することができる人材が必要だと考え、まちづくりに関わる人や組織をつなぐコーディネーター役となる「釜援隊」を立ち上げました。私自身も民間セクター出身ということもあり、市の官民連携推進担当として、あらゆる溝を埋める役割を担うようになっていきました。

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自分が「ここにい続ける意味」を更新し続けた9年間

 2015年には、地方創生の担当室長として、市の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を立案しました。その頃の私は、「1本の旗を立て、釜石のみんなで同じ方向に進まなければいけない」と躍起になっていました。震災前から人口減少が続いていたところに津波が襲い、さらなる人口減少を招いていたからです。都市での災害は、「復旧」と「復興」がほぼ同意義で語られます。しかし、東日本大震災の場合、「戻す」だけでは「復興」とはいえません。つまり、どのような町にするのかという計画を旗印に、多くの人を巻き込んで町を創造していく必要があると考えました。

 とはいえ、現実は困難の連続でした。新しいことを始めようと呼びかけても、「これまで散々失敗してきたしな……」と期待することに疲れ、後ろ向きになっている方々もいらっしゃいます。よその出身者である私に対して、心を開いてもらえていないと感じることもありました。

 つまずくたびに、「私はなぜ釜石にいるんだろう?」と思うことも……。縁もゆかりもなく、震災後にたまたま移住した任期付職員が、地域の未来を担う地方創生の担当室長となるケースなど、全国でも例がありません。ロールモデルもいなければ、腹を割って励まし合える同期もいない。自分が「ここにいる意味」を、自分で定義づけなければなりませんでした。釜石での9年間は、そんな自身の存在価値を問い続ける日々でもありました。

 最初の頃は、とにかく試してみること、様々なプロジェクトを1つの戦略という線につなげていくことが私の「ここにいる」意味でした。3年目くらいに、高校生と社会人との対話交流プログラム「Kamaishiコンパス」を立ち上げ、TOMODACHI Initiativeというグローバル人材育成事業に参画する中で、未来を担う人づくりに対するやりがいを感じました。「“将来は地域に貢献したい”という次世代に対して、大人たちがその背中で可能性を示すことのできる地域」こそが、持続可能な地域であると考えるようになりました。私自身もその1人でありたいという、ある種の生き様というか、願いのようなものが、6年目以降のモチベーションにつながりました。

 また、最後の3年間は、自分がいなくてもまわるチームをつくろうという意識がありました。各事業の権限や裁量をメンバーに移管しつつ、私は責任をきちんと取れる存在であろうと思っていました。

 地域の事業に関わり、数年で離れていく人は少なくありません。その要因の1つが、意味づけの更新にあるのだと思いますし、地域の状況や自身のステージは日々変化していきます。私にとって釜石での9年間は、「自分はなぜここにいるのか」という問いに向き合うことのできた、かけがえのない苦労と喜びに満ちた時間であり、アイデンティティ形成の旅でもありました。

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新たなキャリアをつくるため、予測できない未来を選ぶ

 2021年、私は青森大学准教授となりました。以前から、東日本大震災から10年経ったら、市役所での私の役割に区切りをつけようと考えていました。任期満了に伴い釜石市を離れることを周囲に伝えると、次の仕事についてたくさんの方から声をかけていただきました。その中で、私は一番仕事のイメージがつかなかった、青森大学での研究・教育者の道を選択しました。

 「産官学」のうち、産(企業)と官(市役所)を経験していましたし、次に「学」に飛び込み、30代のうちに3つの領域を越境して働くことに意義を感じました。そして、何より、最も予測できない選択肢でした。釜石時代に培われた「不確実性を愛し、起きたことを意味づけることが、予期せぬ未来を引き寄せる」という価値観によってなされた選択だと思いますし、きっとそれは、私の生涯の道しるべとなっていくでしょう。

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地域で問題解決に取り組む方々のロールモデルとなりたい

 現在、大学教員のほかに、地域に関わりながら働く「ローカルキャリア」の調査研究や、自治体、DMO(観光地域づくり法人)へのハンズオン支援、ビジネスパーソンのリーダーシップ開発などに取り組む(一社)地域・人材共創機構の代表理事を務めています。実践は研究であり、研究は実践でもあります。学生には地域社会の生きた課題や、まちづくりの実践をケースとして学ぶ機会を提供していきたいです。

 地域社会の現場で悪戦苦闘されている方は多くいます。目の前の困難を変えたいと、信念をもって地域に飛び込んでいった若者たちからよく悩み相談を受けます。自身の経験やローカルキャリアの調査研究等を通じて、現場で挑戦されている皆さんへ、少しでも貢献することができれば、こんなに嬉しいことはありません。持続可能な地域社会のあり方とともに、地域でオーナーシップをもって生きるキャリアの可能性を探究し、私もそのロールモデルの1人でありたいと思っています。

アメリカで釜石の復興状況を講演する石井さん

アメリカで釜石の復興状況を講演する石井さん

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自分らしいキャリアを築くために

 私のキャリアは、学生時代に想定していたものではありませんでした。しかし、人生に誇りを持ち、誰のものでもない、自分らしいキャリアを歩んでいると感じますし、多くの人に支えられて今の自分があります。釜石での役割を終え、新たなステージを迎える自身への戒めを込めて、自分らしいキャリアを築くために大切だと考える3つのメッセージをお伝えします。

 1つめは、謝る勇気を持つこと。失敗することを恐れては、何もできません。謝る勇気があって、人ははじめて、本当の挑戦をすることができるのです。たいていのことは真摯に謝ればなんとかなりますし、失敗を恐れずに飛び込んでいくことです。

 2つめは、心の温度に従うこと。「やりたいことが見つからない」という若者に会うことがありますが、やりたいことは「見つけるもの」ではなく、結果として「見つかるもの」です。自分の中で「これだ」と思う瞬間を大切にしてください。私にとってのその瞬間は、震災で困難を抱えた人を目の当たりにした時でした。仕事を辞めて釜石に来たことは、人生の中で最良の選択でした。

 3つめは、境界線上に位置すること。私は、民間企業から地方行政に飛び込みました。市役所の仕事では、企業で経験したものの見方や経験が生かせました。業界や地域を越境し、複数の領域の「境界」に立って俯瞰する視座と、小さなリーダーシップの積み重ねが、新たな出会いや変革へつながっていきます。

 中高生や大学生には、「失敗しても大丈夫」と伝えたいです。自分の心のままに、新たな領域へと飛び込み、自分らしいキャリアを築いていくことが、自分自身にも、そして社会にとっても大きな価値をもたらすはずです。

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編集後記

 「予測できない方の未来を選ぶこと」は、いま持っているものが多ければ多いほど、難しい選択かもしれません。しかし、その「持っているもの」は本当に自分にとって価値があるものなのか。それを見極めようとする人は、案外少ないかもしれません。
 石井さんは東京の経営コンサルティング会社に就職し、ある種の社会的な安定を得ていたといいます。しかし、被災地の現状を目の当たりにすることで、自分の心の温度が上がり、いま持っているものと向き合うことになりました。
 偶発性から生まれる自分オリジナルなキャリアとの出会い。その出会いの機会を捉えることこそが、「Well-being」への一歩なのかもしれません。

2021年7月1日取材

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