調査室長コラム Ⅱ

第20回 順応と機能劣化の体験に思う

ベネッセ教育研究開発センター 教育調査室長 木村治生 (2009/12/21更新)

人間の身体の不思議

 前回、足をひねって剥離骨折をしたという話を書いた。数日前にようやくギプスが外れ、1カ月の不自由な生活を終えることができた。とはいえ、ギプスをしている間、自分の足がどんどん状況に順応し、不快さは軽減されていった。足首を固定しているので、本来ならば歩きづらい。しかし、足を引きずりながらも、ほぼ普通のペースで歩けるまでになった。このような体験をしてみると、状況に対する順応力の高さは、人間の大きな特徴だと感じる。水中生活までは適応できないようだが、寒暖を問わずこれほど広い範囲の陸地に分布する動物は、人間のほかにいない。社会や生活の変化にも対応して、多くの新しい能力を身に付けているに違いない。

 ところが、ギプスが外れた途端、困った問題が起こった。今度は、足首が固まってしまい、動かないのだ。無理に動かそうとすると痛みが走る。その痛みが蓄積されて、夜も眠れない。筋肉もすっかり落ちた。少し歩いただけで、次の日から重度の筋肉痛と戦うことになった。人間の身体は状況に順応するのも早いが、1カ月使わないだけでずいぶん機能劣化するものだと思い知った。このように、使わなくなり衰えていった能力も、たくさんあるのだろう。

 しかし、本来は必要な能力が、それを育てる機会の不足によって弱まっているとしたら、それは大問題である。特に子どもは順応が早いので、心配に思うことがある。

外遊びの不足

 一つは、外遊びの不足がもたらす問題である。図1は、小学4年生〜中学3年生を対象に放課後の遊び場を尋ねたものである。数値は、「よく遊ぶ」と「ときどき遊ぶ」の合計(%)を示している。これをみると、小中学生ともに遊び場の中心は屋内である。近年では地域の安全性の問題もあり、屋外で遊ぶ子どもの姿をすっかり見なくなった。こうした傾向には地域差がなく、自然の残るエリアだからといって子どもたちが外遊びをしているわけではない。

図1:放課後の遊び場所

図1:放課後の遊び場所

*注:数値は「よく遊ぶ」と「ときどき遊ぶ」の合計。

出典)ベネッセ教育研究開発センター「第1回子ども生活実態基本調査」(2004年実施)

 外遊びが減ったことで心配されるのは、体力の低下や運動によって得られる技能の低下である。独立行政法人日本スポーツ振興センターによる調査(「学校管理下での災害」)では、骨折をする子が増えているという。バランスをとる、うまく転ぶといった、以前では遊びの中で身についていた身体技能が、習得できていないらしい。もっとも、骨折が癒えていない私が言うのは説得力に欠ける。私の能力低下は、加齢と体重増加が主因だと思われるが……。

 余計な話はさておき、児童期の外遊びは、体力や運動技能の向上だけでなく、社会的なネットワークを築くうえで必要なノウハウを身に付ける場でもある。仲間との切磋琢磨は、他者と自分の違いを理解したり、相手を思いやったりといった人間関係づくりの基礎を学ぶことができる。また、自分たちでルールをつくったり、トラブルを解決したりといった社会を運営するための知識を身に付けることもできる。そうした能力を高める機会が失われているとすれば、人間関係づくりの能力の低下は避けられないのではないか。

カスタマイズされた学び

 さらに心配なのは、学びの場面での試行錯誤の不足である。最近の子どもたちの学習を見ると、個々の子どもにカスタマイズされた学びが増えていると感じる。学校外学習では、自分のレベルやニーズに合わせて、「これだけやれば大丈夫」といった最少のパッケージで提供される。学校でも、子ども一人ひとりに応じた教育を心掛けようとしている。子どものやる気を高める上では、そうしたカスタマイズが有効であるには違いない。

 しかし、子どもに合わせ過ぎてしまうと、自分はどこが得意(苦手)なのかといった認識(メタ認知)を得ることや、自分にとっての有効な勉強方法を見出すことが難しくなる。それらは、無駄に思える作業の中からつくり出していくものだからだ。また、「これだけやれば大丈夫」という勉強方法では、かえって学習内容が定着しないことがあるという。認知心理学では、一見しただけでは無駄に思える周辺の知識がある方が、知識のネットワーク化が進んで記憶が残ることが知られている。このように、カスタマイズした学びが何をもたらし、何を失わせるのかといった観点での検討が必要だろう。

社会で求められる力

 図2は、経済同友会が企業の採用担当者に選考にあたって重視している能力を尋ねた結果である。これを見ると、「熱意・意欲」といった情意面に続いて、「行動力・実行力」「協調性」「論理的思考力」「問題解決力」などが上位になっている。産業人としての資質を高めることだけが大切なわけではないが、社会に出てから求められるのは、論理的に考えたり、チームで協調したりしながら課題を解決していく力である。

図2:企業が新卒採用選考で重視する能力

図2:企業が新卒採用選考で重視する能力

*注:17項目の中から特に重視するものを3つ選択(%)。

出典)経済同友会「企業の採用と教育に関するアンケート調査」(2008年実施)

 しかし、現在の教育において、これらの能力を伸ばす機会が十分に用意されているのか不安である。十分ではない状態で順応してしまえば、その力は育たない。では、子どもたちの将来を考えたとき、われわれ大人世代はどうすればよいのか。足のリハビリをしながら、そのことをじっくりと考えてみたい。


 グラフのポイントはココ!

(1) 子どもたちの遊び場所の中心は、屋内である。外遊びの機会が少ないことの影響を考える必要がある。
(2) 企業が重視する力は、情意面(熱意・意欲)に続いて、「行動力・実行力」「協調性」「論理的思考力」の順である。このような力を育てる機会の不足が心配される。

※初出:月刊「教員養成セミナー」2009年4月号(時事通信社)


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