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特集 大学改革の現在地 五つの視点から

【寄稿】
大学改革 なされたことと残されたこと

社会が求める「変化」を遂げるには
組織改革の試練に向き合うことが必要

写真
東京大学教授
金子元久
かねこ・もとひさ
1972年東京大学教育学部卒業
1985年シカゴ大学ph.D取得(教育経済学)
現在、東京大学教授、同大学大学総合研究センター長


 ここ10年ほどは、日本の社会において「大学」が大きな問題とされる時期であった。その注視の中で何が変わり、また何が変わらなかったのだろうか。

1 何が意図されたのか

 実際に何が変わったのかを考える前に何が意図されたのかが問題になる。言うまでもなく、日本の大学については様々な問題が指摘されてきた。しかしそれが特に1980年代以降に問題になってきたのにはいくつかの理由が挙げられる。
 最も基本的なことは、いわゆる「知識社会化」だ。産業構造が大きく変わってモノをより多量に生産することが課題とされた時代から、より柔軟で多様な可能性を実現することが経済や社会を支える時代へと移ろうとしている。その基盤となるのが「知識」だと言われる。
 そこで言う知識とは必ずしもたくさんのことを知っているということを意味するわけではない。むしろこれまでの常識を覆すことにつながるような幅広い理解と豊かな思考力、そしてそれを表現することで他者を説得できる文章やコミュニケーションの能力が要求されている。
 しかもそれは日本だけの課題ではない。グローバル化の中で世界中の国々がそうした能力によって発展を遂げていこうとしている。

新しい時代の人材形成に関心

 こうした時代変化への予感が大学への関心を呼び起こしてきたのではないだろうか。そう考えてみると、大学改革の中心的な課題は大学が新しい時代に必要な人材をどのように形成するのかという点にあったことが、あらためて確認される。そのための具体的な教育がどんなものなのか、実はまだよく分かっていない。しかし少なくともその教育が日本の将来にとってクリティカルな意味を持つことは疑いない。
 しかも日本の社会は、もはやこうした課題に無尽蔵に資源を投入するわけにはいかない。財政赤字、行政改革の波の中で大学は、いかに効率的にこのような課題を成し遂げるのかを問われているのだ。
 この課題は日本の高等教育だけのものではない。アメリカでもヨーロッパでも高等教育は極めて重要な変化を遂げつつある。特にヨーロッパでは、日本と同様ここ10年ほどの間に様々な高等教育の改革が試みられてきた。

2 政策の変化

 では実際に何が変わったのか。この点で最も動きが明確だったのは、高等教育に関わる政策あるいは制度上の変化だった。

設置基準大綱化と自己点検・評価

 まず第一に挙げられるのは、高等教育に関する法的な枠組みや規制緩和の動きだ。その象徴は1991年に行われた大学設置基準の改正だったと言えよう。これによって、それまで大学の教育課程を細かく規定していた枠組みが一気に大綱化され、大学ごとに工夫できる幅が広がった。特に教育課程のカリキュラムについてはそれまでの要求が緩和され、これが後に述べるように特に国立大学では教養部廃止という大きな流れにつながった。新しい名称の学部や学科の創設も容易になった。
 設置基準の改正は同時に、大学による自己点検・評価を義務づけた。いわば規制は緩和するが、それに代わる規律を大学自身に求めるというスタンスを行政が取ったと言うことができる。

護送船団方式の放棄

 第二の重要な変化は、高等教育全体に関する政府の関わり方そのものにある。周知のように日本の高等教育は多数の私立大学に支えられていて、政府が直接高等教育をコントロールしているわけではない。しかし文部科学省は、大学に対する設置審査や私学に対する経常費助成を通じて、私学のあり方に実質的に大きな影響力を与えてきた。それは私学の側からは往々にして大きな不満のもとになっていたが、半面それが私学に対する一種の保護となっていたことも事実だ。銀行と同様に「護送船団方式」が高等教育においても機能していたと言えよう。
 しかしこうしたことが可能だったのは、高等教育機会への需要がその供給を常に上回っていたからにほかならない。18歳人口の減少が進めば、こうした文部科学省の規制とそれによる大学への保護は力を失うことになる。
 この意味で注目されるのは、大学審議会が1990年代に出した二つの大学進学人口の「予測」である。それはタイトル通り、2020年頃までに大学進学希望者と大学の収容力がどのように変化するのかを試算したものだが、よく読むと2020年頃には大学の収容力が進学希望者の規模を上回ることが確実だとはっきり認めている。特に短大については、近い将来廃止に追い込まれるところが生じることを示唆している。
 その後文部科学省は大学の廃止の手続きについても検討を進め、社会にそれを伝えている。大学についての「護送船団方式」はすでに放棄されたと言っていい。
 同時に国立大学については1990年代後半から、まず「私学化」が、さらに「独立行政法人化」が議論されていることは周知の通りだ。2000年8月には文部省(当時)に専門委員会を設置して検討が進められており、今年の夏には何らかの具体案が出る見込みだ。国立大学の側は原則反対の立場に立ってきたが、条件つきで法人化を受け入れざるを得ない状況になっている。ここでも政府と大学の関係が基本的に大きく変化しつつあると言える。

進級や卒業に関わる自由化

 変化の第三は教育制度そのものに関わる。すなわち文部科学省は大学への入学・進級・卒業などについて制度の大幅な「自由化」を推し進めてきた。高校からの「飛び入学」や、短大・専修学校から四年制大学への編入とその単位認定の制度的な後押しは、ここ10年ほどでめざましく進んだ。こうした意味で日本における大学進学と卒業は、少なくとも制度上はすでに様々な形で風穴があけられている。すでにぼこぼこの状態になりつつあるとさえ言える。

3 大学の変化

 このように政策上の、いわば大学の外側からの変化には著しいものがあるが、その一方で大学の内部でどのような変化があったかと言えば必ずしも明らかではない。
 大学設置基準の大綱化の最も大きな影響は、皮肉にも多くの国立大学における教養課程の廃止となって表れた。「皮肉」と言ったのは、それが必ずしも大学における教養教育の質的充実や改善を目指したものではないからだ。むしろ大学内部でそれまでくすぶっていた教養部の教員の不満が、設置基準の改訂という機会を得て一気に表面化したともいえる。
 もちろんこうした改革に伴って、様々な新しい試みが行われたことも事実だが、その結果に目立ったものは多くない。私立大学でも新しい学科やコースが試みられたが、設置基準の大綱化の成果と呼べるものは少ないと思われる。

変化のイメージ持てない大学

 一方、自己点検・評価は多くの大学で行われるようになった。特に国立大学ではすべての大学が報告書を発行している。しかしその多くは大学の現状を記述し、あるいは教員の研究業績を羅列するにとどまり、大学が直面する問題を掘り下げて改革に結びつける、といった所期の目的にはほど遠いといわざるを得ない。
 これは基本的に、新しい社会状況における大学のあり方に大学自身がまだ明確なイメージを持ち得ないでいることに起因する。
 前述のように、18歳人口の減少によって多くの私立大学はその存在自体が近い将来危機にさらされるのが明らかだし、国立大学も法人化によってその性格が大きく変わらざるを得ないだろう。
 そうした状況の下で大学は、「どのような学生を対象に」「どのような教育を」「どのような形で」行うのか、また同時にどのような研究や社会貢献を行うのかが問われる。しかもそれを抽象的な理念として表現するのではなく、具体的な行動計画として明確に示さなければならない。いやおうなく進む高等教育の市場化の中で、大学には自らのアイデンティティの確立が求められているのだ。

改革への教員参画がカギ

 こうした認識の下、大学の「経営」のあり方、特に学長等のリーダーシップの発揮が必要だと指摘されている。確かにこれまでの大学の多くは教授会の自治を基盤として運営されていた。結果として重要な決断を迅速に行うことが難しかったし、教授会構成員の利害を大きく変えることはタブーに近かった。そうした態勢の変化が必要なことは言うまでもない。
 しかし同時に、新しい大学、特に教育面での新しいアイデアを出し、それを実行していくのは個々の教員であることは言うまでもない。教員一人ひとりが改革にどう参加するかが問われるのである。
 そうした視点でこの10年間を振り返ってみると、様々な動きがあったことは事実だが、それが大学の変化と個性の創造をもたらすところまでいったという事例はまだ少ないのではないだろうか。個々の大学で様々な変化の兆しが見えているものの、それがその大学全体を大きく変え、ひいては日本の大学全体の変容をもたらすための、いわばクリティカル・マスには達していないのが現在の状況ではないだろうか。

4 これからの課題

 このように考えると、日本の高等教育改革の正念場はむしろこれからだと思えてくる。これまでの10年間は社会が大学改革の重要性に気づき、政府が改革の条件を整える過程だった。この動きの中で大学が実際に変わるのはむしろこれからだろう。その際に重要だと思われることを三つ挙げておきたい。
 第一は大学改革の重点はなんといっても学部教育にある、ということである。すでに述べたように新しい時代は新しい教育を求めている。同時に様々な社会変化の中で大学入学者の基礎学力は低下してきたと言われるし、入学希望者がすべて入学できるようになれば事態はさらに悪化する。しかも重要なのは若者の将来に向けた人生設計が急速に不明瞭化していることだ。学習へのモチベーション自体も疑わしくなっている。その中で、大学教育がどのような形で「教育」であり得るのか。この問いに対する決定的な解答はまだ見つかっていない。
 第二は、大学の新しい顧客をどこに見つけるかという点である。18歳人口の減少は不可避だし、私は大学進学率の上昇ももう少しで停滞傾向に転ずると考える。しかし他方で、すでに職業についている人が職業上の要求であるいは転職のために、何らかの知識を必要とするケースは確実に増えてくる。ただしそうした需要は極めて多様で、それをいかに掘り出すかが大学に問われることになろう。
 第三にこうした決定的な変化を遂げていくためには、やはり大学の組織自体が変わらざるを得ないと考える。それは大学にとっては必ずしも容易なことではない。
 繰り返しになるが、ここ10年ほどの日本の大学の変化は、要求されているものを満たすところに達しているとは言えない。しかしそうした方向への歩みは始まっていることも確実だ。これからの10年が注目される。

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