Between 2003.05
深化するFD

【FD遠近法7】 あたりまえの大学にあたりまえの学生がいる奇跡



演習を楽しめる学生がそこにいた

 2002年12月末、大学教員らを対象に基礎演習の公開授業が行われた。複数の大学から25人の学生が参加し、混合クラスが編成された。初対面の学生が多く、授業内容も直前にガイダンスとシラバスの内容が説明されたにすぎない。「資料を読んでその文章構造についてディスカッションし、発表する」授業が繰り広げられた。この中に基礎演習の経験がない多摩大学の1、2年生が7人加わっていた。この議論や成果発表を参観して、多摩大学生を中心にしたチームの「積極性」に舌を巻いた。自ら授業をつくりあげながら学ぶことを身に付けた学生を目の前にした貴重な体験だった。
 多摩大学の中谷巌学長は、「学生は『ものの考え方』と『課題の発見』『解決の提案』が身に付けばよい」と言う。つまり、これらの能力を身に付けることは「生き方を学ぶ」ことにほかならないわけで、それが身に付けば、あとは意欲次第でいくらでも伸びると主張する。
 1年次に実施されている「自己発見」講座はその狙いを具体化している典型的な科目だ。この科目によって高校までの学習スタイルを払拭した学生たちは、ゼミでも積極的に関与しようとする。その後は、興味関心にしたがって専門的なテーマや関心事に熱中していくだろう。受け身でしかなかった学生が「大学生」になるのだ。



学生と等身大の教育観が不可欠

 ただ、「自己発見」講座のような必修科目も、強制するイニシエーション(通過儀礼)では効果はあがらない。必修科目であっても、学生が楽しんでそこに参加できる環境を大学は準備しなければならない。
 多摩大学では、これを学生の思考パターンに教員側が合わせる形で実現しようとする。
 すなわち、さまざまな学生の考え方や思考プロセスを容認して、教員はその学生の発想や学習のプロセスを敏感に感じ取って授業をすべきという、中谷学長の考えにもとづいたやり方だ。
 さらに同大学の教育の特徴は、「教員とのコミュニケーションの近さ」もあげられる。アドバイザー制度を実施する必要がないというのは、教員と学生の距離が近い大学ならではといえる。
 気がつくと、開学当初に多摩大学が提起した「あたりまえの大学」像とそのための実施システムこそが、他の大学にとっては、昨今のFD活動の目玉になっている。
 しかし、学生による授業評価、シラバスの作成とそのスケジュールを実行する無休講システムなどを他の大学が実施すると、教員や学生にとっては窮屈極まりないものになってしまう。しかし、多摩大学がそうならないのは、今泉学部長が紹介した「対話する文化」が健全であるからだ。さらにおおらかさを保っているのが、教員の授業スタイルを「IT研修などで縛らない」という方針だ。教員は、「学生とのコミュニケーションにエネルギーを注ぐこと」を第一義としている。
 もちろんデジタルツールに強い教員に対しては、授業をより進歩的にするための支援に力を入れている。例えば、大学の特別予算を活用できるしくみがある。同時に「デジタル機器に弱いアナログ教員も無視しない」という方針は、ベテラン教員の良さと自信を発揮させることになるだろう。
  「われわれのやってきたことは決して間違っていなかった」と今泉学部長はいう。これは、開学当初から異質な高等教育機関のように言われても意に介さず、「あたりまえの大学像」を提示し実践してきたことが、ようやく結実し、他大学からも評価されるようになった今だからこそ言える言葉だ。
 渋谷駅に隣接した渋谷マークシティビルにある「ルネッサンスセンター」で展開されている高度職業人養成を目的とした大学院教育の充実によって、多摩大学は、間口は狭くても奥が深い「タワー型の大学」(今泉学部長)になろうとしている。産学連携が強固な同大学ならではの構想といえる。
 明治維新の時、各地の私塾が輩出した人材が日本社会の変革の担い手になったことを思い出せば、多摩大学は現代の私塾を狙っているといってもよい。ことさら「多摩大学のFDとは」という視点で見なくても、同大学から発信される教育や社会貢献のしくみそのものを見れば、他大学にとってはFDの参考になる、ということがいえるのではないだろうか。


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