深化するFD
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第8回 学生に学びの“旅”をさせる
しかけづくり
京都大学 高等教育教授システム開発センター
京大が授業公開するという話題性から7年
 京都大学の高等教育教授システム開発センター(以下、センター)の田中毎実(つねみ)教授が中心となって行ってきたFD活動の一つの柱が公開実験授業だ。1996年から始まり、その後3、4年ごとに節目を迎えながら深化させてきた。
  「当初は何もノウハウがなく、われわれはパイオニアなのだという思いで一心不乱に取り組んでいました」と田中教授は当時を語る。そして、この7年間のうち公開実験授業を始めた最初の3年間が第1ステップ、その後の4年間が第2ステップ、そして今年度から第3ステップに入っているという(図表1)。
図表
 公開実験授業の中心となっている科目が、全学共通科目の「ライフサイクルと教育」である。現在は田中教授はじめ複数の教員によるリレー授業となっている。ちなみに、全学共通科目とはセンターが全学部の学生を対象に実施する科目である。
 この公開実験授業は、インターネットのホームページ上でも案内しており、学内の教員はもちろん、学外者も自由に参加できる。公開実験授業では、双方向性(授業のあり方等について学生からの意見を尊重しながら進める)を重視し、学生の反応に合わせて授業の組み立てを変更するなど、FDの試みや学生の学習スタイルの追跡調査なども行っている。
 また、授業後には担当教員を交えて、教員間で「授業検討会」と称したディスカッションが行われる。02年度の検討会では、学生同士のディスカッションの意義、学生の学びや経験をいかに教材化して授業を構成していくか、授業における教員と学生の関係について、毎回活発な討議がなされたという。
 この公開実験授業の様子は学生に事前の了解を得たうえで、数台のカメラで撮影・収録をしている。毎年実施された授業については、報告書として刊行するとともにインターネットを通じて学内外に公表されている。
 公開実験授業を中心にした7年間の活動について、田中教授は「いくつかの波及効果をもたらした」と言う。例えば工学部や農学部などでは学部学科単位でも教授法に関する情報交換会が始まった。総勢約2500人もいる京都大学の教員全体の大きな潮流にはいたっていないが、個人レベルのFD活動のネットワークが生まれつつある。
田中 毎実

田中 毎実 教授
公開実験授業の他大学への波及
 実は同センターが行った公開実験授業は、学内よりも他大学への波及効果のほうが大きい。とかく研究中心の大学というイメージが強い京都大学が、FD活動の一環として公開実験授業を実施し、教育改革にも乗り出したという事実は、他の大学にとってインパクトが小さくなかったのであろう。
 これらの波及効果として、各地の大学で草の根的な教育改善のネットワークが形成され、同様の試みが生まれている。和歌山大学をはじめ山形大学、島根大学、鳴門教育大学、岡山大学などが「公開授業」を通じたFDの教員同士のネットワークを形成しつつある。
 先鞭をつけた京都大学は大所帯である。それ故に進捗が遅い。しかし、他大学で根付いたFDのさまざまな成果が、老舗としての京都大学のFD活動に生かせるヒントとしてやがて還流してくるかもしれない。この還流効果を期待してか、田中教授も京都大学のFD活動の進捗状況に対して、悲観的には考えていないという。
 また、田中教授は、教員にとってあるべき教授法は一律ではないという。「フィールズ賞を受賞した某有名教授の授業を参観したスタッフからの話を聞いたのですが、それはただひたすら数式を展開し、描いていく授業で、話し方が分かりやすいとか板書が上手いなどの評価では測れないものだったそうです。しかし、受講した学生の満足度は高いのです」。
 京都大学にはこのように学生の尊敬を集めることのできる著名な教員が存在し、そのような教員を師と仰ぐことに誇りを感じる学生がいることは事実だ。このような出会いの場が稀ではないことを肌で感じているからこそ、自信を持って言えるのだろう。
「学び支援プロジェクト」で主体的な学習意欲の向上を目指す
 田中教授は授業で、学生が授業に対する感想や意見を自由に書いて教員に提出する「何でも帳」というノートを使っている。提出されたすべてのノートに、ごく短い応答のコメントを書き込んで、次回の授業開始時に返却しているという。また、学生のコメントのうち、授業を構成するうえで役立ちそうなものをいくつか選んで印刷・配付し、前回の授業の振り返りにも活用している。「この『何でも帳』に書かれた内容を時系列に見てみると、学生たちは授業を体験しながら試行錯誤することで“ひとつの旅”をしていることが分かります」と田中教授はいう。
 このような双方向的授業から、「学びの隘路にさまよう京大生たちの存在」に気がついた田中教授らは、大きな危機感を抱いている。それは「京都大学に入学しても、京大生としてのアイデンティティを持てないまま過ごし、卒業していく学生が多いのではないか」という危機感だ。
  「何で京都大学にいるのか」「何のためにその分野を専攻するのか」などの基本的な学習動機が希薄な学生たちが現れているという。さらに「学生さん」という言葉で地域住民から親しまれ、育まれてきたかつての環境が変わり、高等教育の大衆化によって、いまや「あまたの大学生の一人」に過ぎなくなってしまったことが、京大生のアイデンティティを失わせようとしている。
 そこで同センターでは、「学び支援プロジェクト」と称して、学生の主体的な学習意欲の向上を目指し、新たな実験授業を始めた。「大学における学びの探求」「大学生の心理学」の2科目で、同センターのスタッフが担当している。例えば「大学における学びの探求」という授業では、「大学生活をどのように過ごすか」「自らの学びの課題は何?」などのテーマでOBや上級生からの講演や報告も導入しながら、グループディスカッションとプレゼンテーションを繰り返す。
 授業では毎回の授業を通しての成長過程が確認できるよう、考えたこと、議論したこと、気づいたことなどをリフレクションシートに記入し、「ポートフォリオ」という簡易ファイルに綴じこんでいく。また、ディスカッションをした他のグループの学生に対する簡単な他者評価もピアレビュー用の付箋に記入し、提出する。この他者評価には否定的なことはできるだけ書かず、良かった点、頑張っていた点を書くように指導している。記入された付箋は、次の授業のときにそれぞれの学生のポートフォリオファイルに貼られて本人に渡される。この作業を繰り返すことで、学生たちは学びのプロセスとしての ひとつの旅 を体験していく。
 しかし、この科目の充実への道は険しそうだ。授業時間外にも頻繁に研究室にやってくる学生にコミットメントするための時間が十分に必要だし、ときには学生の個人的価値観にまで踏み込まなければならないからだ。困難を承知の上で、同センターでは学生像を見ながら学習スタイルを研究するという次のFDへの知見を得ようとしている。いいかえれば、学生の側に立ったカリキュラムを模索し始めたといえる。
組織的FDと個人的FDをどう融合させるか
 一方、同センターの活動のもう一つの大きな柱が「大学教育改革フォーラム」の開催である。学内外から有識者を呼んで、大学教育改革についての取り組みの報告や講演を行う公開研究会とともに、全国を対象に組織的に取り組んでいるFD活動である。
 このフォーラムは年を追うごとに参加者が増え、03年には500人以上にのぼった。いまでは、全国の大学にとってもFDの現状を知るための重要な催しの一つとして、さながら学会のようになっている。
 ところが、03年のフォーラムへの京都大学からの参加者は30人程度だったという。組織的なFDについて理解をうながし、浸透させていくことの難しさをうかがわせる。大学が組織的に行わなければならないFDと教員個人レベルの自主的FDをいかに融合させていくかが、同センターの課題になろう。
センターのテーマと今後の展開
 現在センターには大学教授法研究部門と大学教育評価システム研究部門、情報メディア教育開発部門の3部門が設置されている。田中教授と溝上講師は大学教授法研究部門に所属し、大山助教授は大学教育評価システム研究部門に属する。
 その中で、田中教授らは学問領域の系統性を維持しながら、大学のカリキュラムを学生ニーズにどのように合わせるか、といった課題に取り組んでいる。そしてそのために必要な教材、教育方法・技術、教育内容の開発を行っている。とはいえ、これらはあまりにも大きなテーマだ。田中教授は、「センターがこれまで行ってきた活動は第一コーナーを回りきったところでしょう」という。それは、公開実験授業中心の取り組みが一段落し、次の段階に入ったということだ。
 公開実験授業で授業そのものに焦点を当てて教授法を実践研究し、その知見を共有しようとする「教員側からのFDへのアプローチ」と、学生の学習スタイルを調査し、さらに学習支援を行う「学生の側に立ったFDへのアプローチ」の融合段階に入ったようだ。
 同時に全学的な組織的FDいわば「トップダウン型のFD」と、個々の教員が自主的に連携して取り組む「ネットワーク型FD」との融合の段階にも入っている。同センターのこの動きを図表2で示した。
図表
 さらに田中教授は公開実験授業における検討、分析結果をWeb上で公開して大学全体の知的ストックとして生かすなど、情報公開の必要性を強調する。これは同センターの情報メディア教育開発部門の活動に相当するが、すでに03年3月から文科省の大学共同利用機関メディア教育開発センターと連携しながら、Web上で活動を開始している。
 田中教授は「今後の本センターの役割は、京都大学のあちこちに散在する教育資源や知的ストックを、学内外の大学教員の役にたつように集約し提供することだと考えています」と語る。そのために同センターは現在、教員側と学生側の視点からのFD、トップダウン型と教員の自主的なネットワーク型のFDを融合させ、さらに研究領域を広げる段階にある。
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