特集 動き出す「ロースクール」
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概説
法科大学院制度が問いかけるもの
申請数に「過剰供給」との見方も
 2004年4月の開校を目指す72の法科大学院が、文部科学省に設置認可申請を届け出た。国立20校、公立が2校、私立が50校という内訳で、これらの定員を合わせると5950人となる。この定員を多いとみるか少ないとみるかは議論が分かれるところだろうが、司法修習所の定員を上限とする各年度の司法試験合格者数から考えると、若干多いと指摘する関係者もいる。
 現行司法試験は2010年度まで残る。これと並行して2006年度からは法科大学院卒業者を対象とする新司法試験も実施され、司法試験合格者を最大3000人にするという計画であり、法科大学院卒業者の「7、8割が合格」するような設計が目論まれていた。単純にそのことから考えれば、適正規模は4000人程度であろう。法科大学院は初年度から過剰供給の状態でスタートを切ることになりそうだ。
「点」のみでの選抜から「プロセス」による法曹養成へ
 法科大学院設立の出発点は、2001年6月12日に司法制度改革審議会が内閣に提出した「司法制度改革審議会意見書ー21世紀の日本を支える司法制度」である。この意見書には、新しい法曹養成制度として「司法試験という『点』のみによる選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた『プロセス』としての法曹養成制度」が提起された。その「点」から「プロセス」への転換で、重要な役割を担うのが「法曹養成に特化した教育を行うプロフェッショナルスクールである法科大学院」としている。
 この意見書を起点に、文部科学省、司法制度改革推進本部、法務省の審議会等で議論が重ねられ、様々な法改正がなされて、2004年度に法科大学院制度が始動することになった。
 一方、法科大学院の成否は、司法制度改革の実現に大きな影響を与えるものであるともいえる。法科大学院は、単なる新しい高等教育機関としての役割にとどまらず、日本の司法制度を変えるための重要な役割をも担っていることを、設置大学をはじめとする関係者はあらためて確認しておくべきである。
リーディング・ケースとしての法科大学院制度
 法科大学院という新しい高等教育システム、法曹養成システムは、様々な意味においてリーディング・ケースとなりそうだ。

(1) 専門職大学院
 法科大学院は、意見書に示されているように「プロフェッショナルスクール」、すなわち専門家の養成のための機関である。研究者養成を目的とした従来の修士課程とは大きく異なるもので、「専門職大学院」という専門職養成のための新しい種別の大学院として登場する。
 専門職大学院は、まさに法科大学院をリーディング・ケースとするものだ。先の意見書でも「法科大学院では、法理論教育を中心としつつ、実務教育の導入部分(例えば、要件事実や事実認定に関する基礎的部分)をも併せて実施することとし、実務との架橋を強く意識した教育を行うべきである」としており、理論を中心に教育をして研究者を養成する従来の大学院とは異なった目的が法科大学院にはあることが確認できる。
 この流れの中に、公認会計士試験のための専門職大学院(アカウンティング・スクール)やMBA、MOT(Management of Technology=技術経営)といったビジネス関連のプロフェッショナルスクールもあり、これらが今後の高等教育において重要な位置を占めることは間違いない。

(2) 第三者評価による継続審査
 法科大学院には第三者評価が義務づけられ、「事後チェック」がなされるという面でもリーディング・ケースである。
 入学者選抜における社会人や法学部以外の出身者の割合、ソクラテス・メソッドなど双方向の授業、全体のカリキュラムと個々の授業のシラバスの整合性、授業評価、新司法試験の合格状況などが、細かくチェックされることになろう。
 評価機関がまだ選定されていない現時点では詳細は定かではないが、この「適格認定」(第三者評価)で厳しい結果を突きつけられる法科大学院が出ないとも限らない。すでに設置認可申請の前後で、文部科学省から入学定員や教員スタッフなどの問題を強く指導されているところもあるようだ。
 しかし、第三者評価導入の理念から鑑みると、文部科学省の指導ではなく、むしろ大学側の自主的な改善努力が先んずるべきである。つまり大学側は設置認可申請時から広い視野に立ち、受け入れた学生に質の良い教育を継続して施す体制を確立するための十分な準備が求められ、その不備を文部科学省が繰り返し指導している現状は重く受け止める必要がある。これが先例となってしまっては「事前審査から事後チェックへ」のスムーズな移行が心許ないものになってしまう。

(3) 学部教育との棲み分け
 法科大学院構想はアメリカのロースクールをモデルにしているが、アメリカには法学部は存在しない。日本の大学では法学部の英語名称を「スクール・オブ・ロー」としているところもあるが、アメリカではこれはロースクールを指す。アメリカのロースクールの役割を日本では法学部が担っているとの自負の表れであろう。これは、法学部卒業後、司法試験に挑戦し法曹資格を取得することを考えれば当然である。これは明らかに、法学研究科など法学系の大学院が担ってきた役割ではない。
 そういった状況の中で、法曹養成のための教育を法学部から切り離し法科大学院で担うことになる。その結果、法学部の守備範囲は従来よりも明確になるはずである。法学の最先端研究を教員が解説をするといった内容は除かれ、むしろ社会を法学的な視点でとらえたり、法学的な思考を身につけるために判例を学んだり、法曹としての基盤的な能力の確立に力点が置かれることになろう。さらにいえば、法学に力点を置いた教養教育が展開されることになる。
 大学全体が大衆化する過程において、また初等・中等教育の学習指導要領が学習の総量を減らし、学ぶ内容の選択幅を広げる中において、注目すべき流れである。つまり法科大学院制度の開始→法学部の改革は、大学の学部教育で何をなすべきかという課題を突きつけているのである。

(4) 双方向・少人数教育
 法科大学院の特徴として、法学部出身の大学新卒者のみならず、理工系学部出身者や社会人を受け入れる点が挙げられる。これらの学生にも、短期間で、法学部で4年間学んだ学生と同等以上の法学的な思考や知識を習得させなくてはならないわけだ。
 このほど明らかになった「新司法試験実施に係る研究調査会」の中間報告をみると、連続4日間の試験実施、1科目4〜6時間程度の論文試験など、かなりハードルの高いものになりそうだ。このような司法試験に対応するには、教授法の確立や学習のフォローアップシステムの充実がカギとなるだろう。
 日本の学校教育では馴染みのない問答型授業「ソクラテス・メソッド」など、法科大学院では授業中に学生自身に考えさせる仕組みが導入される。そのために必要な予習は従来のものと質量ともに大きく異なる。学生は単に知識を集積しているだけでは立ちゆかなくなるはずだ。
 きめ細かな教育という観点では、法科大学院の設置基準において、教員一人あたりの学生数を規定するなど、文部科学省による規制も強い。ただ、受講者の人数が少なければよいというわけでもなさそうだ。ハーバード・ロー・スクールの授業クラスは、最近は若干改善されたようだが、それでも100人を超えるという。
 ソクラテス・メソッドを用いた授業は、多様なバックグラウンドを持つ学生がさまざまな立場で発言することによって内容が豊かになる。単に設置基準をクリアできる人数設定にすればいいというのではなく、そうした本来の理念が実現できるきめ細かな教育を行うことこそ重要だろう。
 法科大学院では、日本では未踏のこうした教育手法に大挙して臨むという面でも、リーディング・ケースといえよう。

(5) 学部成績の適正な評価
 アメリカのロースクールの入学者選抜では、適性試験であるLSATの成績、GPA(学部時代の成績)、志望動機などのパーソナルステートメント(エッセー)、そして、推薦状の4点が審査され合否が判定されるのが一般的だ。面接や小論文など、学生が大学に出向いて審査を受けるケースは少ない。
 アメリカのロースクールではLSATの信頼度が高く、しかも各大学による適正な成績評価が確立しているため、これらを中心に合否判定を下しやすいようだ。合否のボーダーラインではステートメントや推薦状が決め手となるが、大枠においてはLSATとGPAの結果で判定される。
 では、日本ではどうだろう。適性試験を課し、未修者には小論文、既修者には学科試験を課すところが多い。面接を行うところもあるがごく少数だ。TOEFLなどの語学能力を審査するところもある。
 もちろん、アメリカのGPAに相当する学部の成績はほとんどの法科大学院で提出を求める。しかし、その扱いにはどこの法科大学院も困っているようだ。
 開発されたばかりの適性試験の結果のみによる学力判定には不安が残る。大量の志願者のデータを難なく処理できる学力に関する数値データを探すと学部成績に行き着くわけで、これを利用することになる。何よりも、受験者のそれまでの勉学に対する姿勢や成果を評価するには、学部成績が最も妥当な指標になるはずだ。
 しかし、この学部成績には様々な問題がある。第一に、A大学とB大学では教育方針や入試の難易度が異なる。これら大学間格差をどう評価し、学部成績をどのように読みとるかという問題だ。また、そもそも各大学の教員がつけた評価が果たして公平で選考の材料として妥当なものかどうかという大学・大学教員に対する信頼の問題もある。こうした問題を前に、どうしたものかと考えあぐねている大学も多いのではないだろうか。
 今後、法科大学院が大学・学部に対して厳格な成績評価を求める動きも出てくるだろう。

(6) 「公平性」に縛られない選抜
 先に紹介したように、アメリカでは主にLSATとGPAを中心に入学者選抜が行われるととらえられている。これは事実である。しかし、実際に合否の重要なポイントを占めているのが、ステートメントと推薦状である。特に合否のボーダーラインでは、この二つが大きな判断材料になる。
 これはある意味、アメリカのロースクールでは合否を「主観的に」判断しているということだ。GPAも単純に数値化したものを判定するだけでなく、入学後の成績の伸びや取得した単位の内容も合わせて判断する。合否すれすれの数人に関しては卒業生の子弟を優遇するケースもある。数字で表すことができない要素、例えば気力ややる気、健全な判断力や高い理想をも考慮する。このような「主観的な」判断によって最終的な合否が決められるのである。
 日本の法科大学院でも同じようなことを考えているところがあるようだ。「主観的な」要素を組み込みながらも公平に選抜を測ろうという試みである。早稲田大学法科大学院の説明会では、「21世紀型の入学者選抜」として「主観性」を組み入れて評価することが説明された。
 これまでの大学入試では、推薦入学やAO入試などはあるものの、選抜の主体は学力試験である。数値化された成績で1点を競う入試であった。同大学院では、このような1点刻みの入試は20世紀型の入試であり、これから展開する法科大学院入試ではもっと大胆な判定を行うと強調しており、果たしてこれが新たな入試の流れとなるかどうか、注目したい。
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