VIEW21 2002.2  英語教育の新機軸

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英語教育の役割を見直す

福本 新課程、週5日制への移行など、日本の教育に改革の波が押し寄せる中、英語教育も今までの文法、訳読中心の指導から、より実践的な英語能力を身に付けさせる指導に変わりつつあります。実際に英語の指導に当たる先生のお立場から、このような状況をどうお考えですか。
光岡 「日本人は英語は読めるが会話ができない」など、国際社会での日本人の言語交渉能力の低さはずいぶん前から指摘されています。それでもバブル経済が崩壊する前は、日本の経済力が国際社会での発言力の強さにつながっていたのですが、経済力が低下すると、今度は言葉の力で相手を説得するしかない。ところが、日本人の英語力では欧米諸国と対等に渡り合うことができないんですね。これでは、国際社会の中での日本の立場はどんどん弱まってしまう。新課程で実践的なコミュニケーション能力の育成が重視される社会的背景には、こういう現状があるのではないでしょうか。
川上 確かに、実践的なコミュニケーション能力の育成は、英語教育のキーワードになっていますし、大切なことだと思います。ただ、指導の方向性が極端に振れ過ぎるのではないかという危惧もあります。今までは文法、訳読が重視されてきたのに、現在はコミュニケーション能力、特にオーラルコミュニケーションばかり重視されています。しかし、インターネットによるコミュニケーションが今後益々一般化すると、「読む」「書く」能力がより重視されるようになるはずです。一方向に極端に走るのではなく、これからの社会で本当に必要なコミュニケーション能力とは何かを見極めないといけません。
福本 実践的なコミュニケーション能力の獲得は英語教育に対する社会的なニーズであり、それは「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能を総合的に伸ばして初めて実現するということですね。
川上 英語教育の変革は、やはり社会の要求を受けたものだと思います。国際化の進展を誰もが実感する中で、何年も英語を学んでいるのに使いこなせないという今までの日本の英語教育が見直される時期なのでしょう。
光岡 それに我々教師にも「変えていかなければ」という気運の高まりがあったと思います。まず、いくつかの進学校が率先して今までの訳読中心から4技能を融合させた指導に変え、その動きに触発されて多くの高校も変わり始めたというのが現状ではないでしょうか。

求められる教授法の向上

光岡 ただ、実践的なコミュニケーション能力の育成が、英語教育に求められていることに納得はしても、なかなか授業で実践できていないのも事実です。その理由の一つには、やはり教師自身のコミュニケーション能力の不足があります。我々も努力して、実践的な英語運用能力をもっと身に付けなければなりません。それと同時に、生徒に対する教授法をアップさせていくことが大切ですね。
川上 そうですね。英語力の向上に関しては私も耳が痛いです(笑)。そしてそれと同時に、私は現場の教師が「実践的なコミュニケーション能力」とは何なのかをきちんと理解する必要があると思います。学習指導要領を読めば、実践的コミュニケーションとはどういうことか、詳しく書いてありますよね。しかし、学習指導要領に書かれていることを咀嚼して、具体的にどう授業に取り入れていくかは、我々教師がやらなければいけない作業です。それなのに、ともすると現場での話題は「オーラルコミュニケーションA・Bがなくなって、Iになった」「Iを取らなければIIは取れないらしい」といったカリキュラム上のことに終始してしまいがちです。しかし、それよりも、学校の置かれている状況や生徒の意識などを踏まえて自校ならではの「実践的なコミュニケーション能力」の育成方法を吟味することが、今は求められているのではないでしょうか。


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