特集 国立大学法人化とその周辺
Betweenは(株)進研アドが発刊する情報誌です。
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教員と職員が補完しあえる関係に
 大学が教育・研究を使命とする組織である以上、学長や教員出身の役員が大学の基本目標、教育・研究に関する基本的方向性を決めるのは当然の使命である。そして職員出身の役員とこれを補佐する幹部職員は、その使命を効果的・効率的に果たせるよう、さまざまなデータの収集と調査・分析を行ったうえで、種々の選択肢を企画・立案することが責務となる。
 教員が役員を独占し教員中心の大学運営を行おうとの構想が、一部の大学から聞こえてくる。言うまでもなく、教員は専門分野の専門テーマについて研究を行い、論文を書き、その評価を基にその地位を得ているのであって、それ以上でも以下でもない。助教授から教授に昇進するに伴って、部局や全学レベルの各種の委員会の委員や、学科・専攻の責任者、学外で学会の役員や自治体の審議会の委員になったりすることはあるが、多くの教員が経験する管理的業務はこの程度であろう。
 確かに学科長、学部長クラスの一部の教員は調整能力を認められ、推挙されて学生部長や図書館長、さらに最近各大学に置かれるようになった副学長に選ばれたりする。しかし、これらの職はいずれも教授兼任ポストであり、職員の補佐を受けてこなしているか、時には事務局の「振り付け」通り動いているだけのことが少なくなく、大学の運営業務を実質的に指揮・執行しているわけではない。そもそもほとんどの教員はそのような任に堪えるような訓練を受けてきたわけではないし、そのような心構えもない。あくまで1〜2年限りの「雑用」またはせいぜい「名誉職」に過ぎない。  しかし、職員にとっては大学の運営業務こそ本来の仕事であり、人事、財務、学務、施設など専門分野をもち、学内外をまとめる交渉・調整能力、企画立案を支える調査・分析能力をもっている。
 他方、職員は教育・研究に自ら携わるわけではなく、学生と直接コンタクトすることはほとんどない。そのため、大学本来の使命である教育・研究のあり方や方向性についての知見は望めない。
 重要なことは、教員と職員がそれぞれの能力、持ち味を生かし、おたがいに補完しあって協力・協働し、より良い大学のあり方をつくり出していくことである。
閉鎖的な国立大学にとって意義が大きい外部評価
 これまでの国立大学はあまりにも閉鎖的であった。公的な資金により運営され、「国立」ということで社会的にも高い威信と信用を得、税制面でも優遇されているにもかかわらず、教育・研究に関しても、財務など管理運営に関しても国立大学から積極的に情報を発信することはほとんどなかったと言ってよい。しかし最近は、高校生向けのオープン・キャンパスや研究室公開といったイベントを行ったり、英文を含め各種広報資料が大学全体、あるいは部局ごとに発行されるようになっている。
 ホームページも年々充実している。京都大学は02年から、正門脇と本部棟にインフォメーション・センターを設け、印刷資料と映像資料を公開している。研究成果を一般向けに分かりやすく発表するフォーラムの類も少なくない。
 こういった取り組みは有益であり必要だが、どちらかと言えば大学側が伝えたい、知ってほしいと考える情報が主で、必ずしも社会や一般国民の側から知りたいと考えるものばかりではない。
 そのためにも外部による大学評価が重要となる。外部評価は学位授与・評価機構によるものが代表的であるが、部局単位で学外そしてしばしば外国の学識経験者による委員会を組織して評価を行っているところも相当数に上っている。評価のあり方、方法論や評価に当たる人々の資質などについて批判がないわけではないが、独善的で身内の論理ばかりが通りがちな大学のあり方に、異なる視点や社会の側からの見方が評価を通じて提示されることは極めて重要であり、意義が大きい。
 とりわけ教育の内容、質、方法、成績評価のあり方などについてはなかなか改善が進んでおらず、卒業生を採用する企業や自治体、弁護士会や医師会などの職能団体、教育学者など外部の関係者の意見や提案が反映されることが必要だ。
 例として必ずしも適切ではないかもしれないが、刑務所や少年更生施設、高齢者介護施設など閉鎖的な運営を行い、外部の人の目が容易に届かない所や、病院のように専門外の人間には提供される医療サービスの質の判定がなかなかできない所で起きる問題が少なくないことは、外部評価がいかに重要で有効かを示している。
重点目標と優先度に沿った資源配分を
 国立大学といえども、自治体や企業などの他の社会的組織と同様、一定の資源の範囲内で与えられた目標を効果的・効率的に実現するための組織であることには変わりない(ただし、大学は教育・研究を主たる目標としている以上、教員には教育・研究の内容についての自主性・自律性が認められねばならず、その成果・効果の評価にあたっても中長期的な観点も必要となる)。
 国立大学という組織の目標は、知識を次代に継承し、発展させる(教育)とともに、新たな知識を生み出す(研究)ことであり、その過程を通じて人材を育成し、地域・社会・産業の発展に貢献することである。
 では、このような国立大学の経営戦略とは何であろうか。経営とは「継続的・計画的に事業を遂行すること」であり、戦略とは「各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法」(広辞苑)である。したがって、国立大学の経営戦略とは「教育・研究活動を計画的に遂行すること。各種の教育・研究活動を総合し、全局的に運用すること」と言うことができよう。
 このような「経営戦略」の確立のためには、所与の社会的・地域的条件(当該大学の教育・研究に関する実績や歴史・伝統、立地する地域の18歳人口の集積度と各種高等教育機関の分布、産業構造など)のもとで、各大学が果たすべき教育・研究上の役割を明確に規定することが前提になる。
 そのうえで、教育・研究活動に投入可能な資源(教職員、運営交付金や施設・設備・土地などの資産など)を把握し、各大学に期待される役割・機能と対比し、大学としての重点目標と教育・研究活動に関する優先度を定め、それに沿って資源配分を行っていく。  そして重要なことは、このような与件分析に基づく重点目標・各種活動間の優先度の設定、それに基づく資源配分、その後の成果の評価、そして再び目標設定というプロセスのサイクルを可能な限り合理的・計画的に行うことだ。
 一方、このような経営戦略に関して、一部の教員から「さまざまな学問分野間で優劣や優先度を決めることはできない」「短期的に教育効果や研究成果を評価するのはおかしい」といった反対論が出てくるのが常である。しかし、資源が有限であり、貴重な国費を投入して教育・研究活動が行われる以上、一定期間内の優先目標を決め、資源を重点的・選択的に配分することは当然のことである。
 逆に、重点的・選択的な資源配分を行わなければ、新たな学問のフロンティアに挑戦することはおろか、日進月歩で進歩・革新を続ける学術研究の進化についていくことすらおぼつかない。これは教育も同じで、教育が有為の人材を育て社会に送り出す営みである以上、社会のニーズの変化に柔軟かつ機動的に対応していくのはあたりまえのことと言えよう。
 組織が常に活力を保ち、発展していくうえで、ときには相対的に学問的・社会的重要性の減少した分野を縮小・廃止してでも、優先的に資源配分を行う分野を決めて実行することは、あたかも生物が細胞の死と再生という、絶えざるプロセスを繰り返すことによって生命体として成長を続けていることにも例えられる。
 国立大学の経営戦略とは、まさに大学としての目標を確立し、その実現のために持てる資源の再配分を行うということに尽きる。そして、社会と学問の要請に適時・的確に応えうるような経営戦略が実施できる大学こそ、21世紀を生き抜き、社会と学問の進歩に貢献できる大学なのである。
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