ベネッセ教育総合研究所
キャリア教育再考
IPUコーポレーション
チーフディレクター
松高 政(まさし)
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「望ましい職業観」とは何か

 04年7月に3大学の協力で、34人の4年生に聞き取り調査を行った。進路や就職に限定するのではなく、学生生活全般について幅広く捉え、その中で職業意識がどのように形成されるのか知るため、1人1時間をかけ、入学時から就職活動までかなり深く話を聞いた。進路選択や就職活動から遠ざかっている学生の話を聞いていると、その理由は、進路や就職とは直接関係ない、自分の中にある何か別の問題であるように思えた。
 全員に対し「『大学生の職業観が低下している』という言葉を聞いた時、それは、大学生の何が低下していると言っているのだと思いますか」という問いを投げかけた。学生からは、「本当に自分に就職や仕事ができるのかどうか不安に思う大学生が増えてきた、ということだと思う」との回答が多かった。
 つまり、進路選択や就職が不安だという学生は、就職が厳しいとか、気楽さがなくなるなど就職に伴って起きる具体的な何かが不安だったり嫌だったりするのではなく、むしろ自分の内面にある不確実さが不安だと言いたいのであろう。その不安感のため、進路や就職に意識を向けることを避けているのである。
 学生の就職問題を考えるということは、学生が直面している内面の問題について考えることでもある。自分自身の問題でのつまずきや戸惑いを解きほぐすことが、大学から社会への移行の支援につながる。それは学生指導全般にわたるテーマであり、就職関連部署だけで背負うにはあまりにも重すぎる。
 このような学生に対して、「だから『望ましい職業観や勤労観』を身に付けさせなくては」という意見がある。では、そもそも望ましい職業観や勤労観とは一体何なのか。どのような考え方、見方を身に付ければ望ましいといえるのか。「望ましい職業観」というきれいな言葉で片付けていては、何の解決にもならない。
 内容が曖昧なまま職業観、勤労観を身に付けさせようとしても、学校だけでは解決できないので家庭の問題に、さらに社会に、そしてどこでも解決がつかなくなると、最終的に若者自身の意欲や意識、行動の問題という結論を導き出してしまう。教育に関する議論の難しさは、この堂々巡りによって、結局はもの言わぬ若者に最終的な責任を押し付ける大人たちの問題に起因する。典型的な例が、フリーターの問題だろう。「若者=職業意識・勤労意欲の低下=フリーター亡国論」という安易な議論が展開されることがいまだ多い。



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