アメリカのコミュニティ・カレッジは、前述したように、高卒者にとってのファーストステージであると同時に、成人のそれでもある。地域総合科学科が、コミュニティ・カレッジとしての機能を果たすためには、前述の(3)(4)の取り組みの実現が不可欠となる。
日本の場合、今日でこそ約半数の者が短大・大学に進学しているが、今からおよそ10年前の1992年の短大・大学進学率は38.9%、さらにその10年前の1982年には36.3%、1972年には29.8%、そして1962年には12.8%にすぎなかった。ちなみに、進学率が20%を超えたのは、ようやく1969年になってからで、現在、退職後のキャリアについて真剣に考え出す50代後半の人々の大半は高卒、あるいは中卒のままである。そのことから考えると、成人における高等教育の潜在需要は、膨大なものがある。
アメリカのコミュニティ・カレッジも、イギリスの継続教育カレッジも、成人のキャリア変更の援助を重要な機能の一つとしている。例えば、ある企業が閉鎖されると、その従業員のほとんどが地域のカレッジに入学して、需要のある他の職業能力を身に付ける。また、キャリアの変更には新たな職業スキルだけではなく、心理面での成長や広い知識を必要とする。
それだからこそ、単なる専門知識や技能の修得に終わらない、体系性を備えた専門性と教養の要素を含んだ大学教育が必要となる。しかし成人にとって、いきなり4年の課程は長すぎる。2年で高等教育のコアが修得できるのであり、まずその提供が目指されるべきなのである。
短大という名称からの脱却
今必要なのは、大学教育には4年以上が必要で、短大は不完全なものであり、できれば大学になったほうがいいという、思い込みからの脱却である。すでに見てきたように、高等教育の体系において、常に2年の課程は必要であり、それどころか生涯学習社会に突入して、その重要性はますます増している。
もちろん、2年の課程に盛り込まれる中身は変化していく。ある職業分野の資格が、2年では取れなくなるというようなこともあり得る。しかし、また新しい職業分野が、2年の大学教育を必要として参入してくるのである。その一方で、物事を知的に扱えるようにする教養教育の価値は普遍的に存在する。短大は新たに高等教育のファーストステージとして、職業教育と教養教育の両方を担い、生涯学習社会に貢献していく重要な役割を担っているのである。
そしてそのような新たな役割を期待する以上、そろそろ4年制大学を大学、2年制大学を短大という名称で呼ぶことはもうやめるべきであろう。短大と言い続けるなら、4年制大学は長期大学と言わなければ、短大の方が特殊な存在という印象になってしまう。例えば、置いている課程によって準学士大学、学士大学とするとか、2年制大学、4年制大学などにするべきという案はこれまで何度も出てきたが、もうそろそろ決着をつけるべき時期に来ている。
日本型コミュニティ・カレッジの成否は、ひとえに、高等教育関係者のこうした意識改革にかかっているといっても過言ではない。
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