調査室長コラム Ⅰ
第23回 安全にコストがかかる時代
ベネッセ教育研究開発センター 調査室長 木村治生 (2008/04/21更新）
森鴎外の『山椒大夫』では、安寿と厨子王が母親から引き離されて売られていく。中世には、子どもがさらわれて労働力として売られるということが多かったのだろう。そのようなこともあって、昔から親は、子どもが遅くまで外で遊んでいると「人さらいにさらわれる」といってしかってきた。今ではあまり聞かれなくなったが、「人さらい」という語感と、その結果として親から引き離されるという事態に、昔の子どもたちは恐怖を覚えたものである。そうは言っても、おおむね地域は安全で、子どもも女性も安心して一人歩きができる、十数年前まで日本はそんな社会だった。
しかし、子どもが巻き込まれる犯罪や事件が増えている。実数の推移はわからないが、少なくとも増えていると認識されるようになっている。神戸の不幸な事件以降、子どもの加害・被害が報道される機会が多い。また、地域によっては、不審者情報が学校から保護者に頻繁に伝達されている。地域社会が匿名化して近所にどんな人が住んでいるかわからないことや、犯罪検挙率が低下して長期化する事件も多く、地域の安全性に対して不安をもつ保護者が増えているようだ。
上の図は、幼児の保護者を対象にした「子育て生活基本調査」の結果である。子育ての悩み･気がかりのダントツ１位は、「犯罪や事故に巻き込まれること」であった。「ほめ方・しかり方」「しつけのしかた」といった、言わばオーソドックスな悩みをもつ保護者ももちろん多いのだが、いずれも過半数に満たない。それに対して、犯罪や事故の心配は４人に３人の保護者が抱いている。この数値は、幼児の保護者を対象としたものだが、これだけ小学生が被害にあったり、小学校が事件の現場になったりする状況が続くと、小学生の保護者も強い不安感をもつことだろう。
そのために、「子どもの安全」を買って確保するような状況が生まれている。最近は子どもの位置が特定できる機能がついたランドセルや、防犯ブザーが売れている。学校に防犯カメラを設置し、警備員を配置する自治体も増えてきた。保護者としては安全を確保して安心するため、行政としてはリスクを管理するために、コストが発生するわけである。それも仕方がない時代なのかと思う。安寿と厨子王を失った母親は、「安寿恋しや…、厨子王恋しや…」とつぶやき続けた。そんな悲しいことが起こらないように…。
※初出：月刊「授業つくりネットワーク」2005年５月号（学事出版）
