記念特集 中学校教育のこれまでとこれから
VIEW21[中学版] ともに語る、考える。ベネッセの教育情報誌
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学級の一人ひとりが自分の過ちと向き合った

 1回目には、ほとんどの生徒が、なぜアメを食べてはならないのか、理由を言えませんでした。しかし、2回目には大半の生徒が「一生懸命に演奏している最中に食べるのはよくない」「友だちに勧められてもだめなものは断る」と言いました。でも、「そのときにならないとわからない。絶対にしないとは言えない」と言う生徒もいました。「もうしません」と言えば私は許すとわかっているはずなのに、正直だなあと思います。ただ、「だめなものはだめ」と理屈抜きで言い切ることが大切と思い、「もう一度考えてこい」と教室に戻らせました。アメを持ち込んだ生徒は職員室に何度も来て、「悪いのは私で、ほかの人は悪くない。許してほしい」と泣きながら謝りました。その反省は受け止めた上で、今や学級全体の問題だから、私の気持ちは変わらないと伝えました。
 全員から反省の言葉を聞き、私が教室に向かったのは、夜9時を回ったころでした。40人が神妙な面持ちで席に座っていました。私が教壇に立つと、生活委員の女子生徒がすっと手を挙げて立ち上がりました。
 「アメを持ってきたAさんは確かに悪いけれども、私たちはアメを受け取りました。『やめなよ』と注意して先生に預かってもらえばよかった。Aさんだけを責められません。先生が怒るのは当たり前です。ごめんなさい」
 生徒の言葉を聞き、私は胸が熱くなりました。時間はかかったけれども、生徒に自分の過ちと向き合わせることができたと。あとでほかの先生に聞いたのですが、私が職員室にいる間、教室では1人として話をする者はいなかったそうです。確かに私は「相談するな、自分で考えろ」と言いましたが、本当にだれかと話し合うこともなく、それぞれが1人で考えていたのです。
 生徒の発言が終わると、私はうなずき、5時間に及ぶ学活の終わりを静かに告げました。
 その後、学級は私の予想以上に成長しました。修学旅行では行く先々で行儀の良さを褒められ、3年生の学級替え後は各学級の中心的存在になりました。学習面の成長も著しく、東京都を代表するような進学校に進んだ者も数多くいました。担任として誇らしく思う集団になりました。
 全体を指導しようとする前に、まず一人ひとりと向き合わなければ、学級をまとめることなどできない。この事件は、私の学級経営に対する基本的な考え方を決めました。これは校長となった今も変わりません。「学級」から「学校」へと集団の規模は変わりましたが、個にきちんと対応できなければ、集団をまとめることができないのは同じだと思うからです。私はこれからもあの日と同じような気持ちで、生徒一人ひとりと向き合っていこうと思います。


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