神奈川県の公立中学校の生徒と保護者に関する調査報告書

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第2部 学力・学習習慣

 第2章 「閉じた努力」の再考
       ―経済階層別にみた家庭教育・学校教育・「開かれた努力」の影響―

小山 治(東京大学大学院特任助教)

  <要約>
  • 所有財得点が高いほど、子どもの平日・休日自主学習時間が長い。
  • 所有財得点の上位層・下位層にかかわらず、中学校入学以前に母親がしっかり勉強するように言っていたほど、子どもの平日・休日自主学習時間が長い。一方、所有財得点の上位層においてのみ、中学校入学以前に母親が勉強以外の多様な体験をさせていたほど、子どもの平日・休日自主学習時間が長い。
  • 所有財得点の上位層においてのみ、ドリル授業を多く受けているほど、子どもの平日・休日自主学習時間がやや長い。一方、所有財得点の下位層においてのみ、教え方が上手な先生が多いほど、子どもの平日・休日自主学習時間が長い。
  • 所有財得点の上位層・下位層にかかわらず、意欲・態度得点が高いほど、子どもの平日・休日自主学習時間が長い。意欲・態度得点は小5クラス内成績に規定されている。
  • 平日・休日自主学習時間によって測定される「閉じた努力」は、閉鎖的な側面だけでなく、開放的な側面も有している。

1. 問題設定

本稿の目的は、経済階層別に家庭教育・学校教育・「開かれた努力」は「閉じた努力」に対してどのような影響を及ぼしているのかという問いを検討した上で、「閉じた努力」を再考することである。

本田(2005: 76)によれば、「閉じた努力」とは、「受験勉強を典型とするような、与えられた目標に向かって反復練習などを通じて自分自身の単線的な向上を遂げること」を意味している一方で、「開かれた努力」とは、「その時々の周囲の状況に応じて自分のあり方や目標を自ら選び取り、それに向かって最大限の力をつくすような行動特性」を意味している。こうした概念を設定した上で、本田は、従来の教育社会学が学習時間という勉強に関連した視点からしか努力を捉えていない点を厳しく批判し、子どもの努力は学習時間という行動によって測定される勉強だけでは捉えられず、勉強から切り離して能力として捉え直す必要があるという問題提起をしている。

確かに、本田の提唱した「閉じた努力」と「開かれた努力」という概念は、勉強に固執した従来の教育社会学の前提を根本的に問い直す上で非常に意義があるといえる。しかし、こうした概念を持ち出すことで、今度はこれまで教育社会学が取り扱ってきた勉強(学習時間)に対する焦点が弱まってしまったように思われる。「閉じた努力」と「開かれた努力」をあまりに分断されたものとみなすことは、かえって誤解を生み出すかもしれない。本田も部分的に指摘しているように、2つの努力は相互排他的なものではない。本稿では、「閉じた努力」に対して家庭教育と学校教育ができることは何かという点を検討していくが、そこでは「開かれた努力」も独立変数として設定する。その上で、「閉じた努力」と「開かれた努力」という概念の問題性について考察する。

本稿には、次の2つの意義がある。

第1に、子どもの「閉じた努力」を後天的に形成する要因を正面から検討するという点である。卯月(2004)によれば、努力の階層差を問題にする従来の研究は、努力がいかに後天的に形成されうるのかという点を軽視してきた。本稿は、卯月の指摘を受けて、経済階層の上位層・下位層ごとに「閉じた努力」を後天的に形成する上で家庭教育と学校教育にできることは何かという点を検討する。

第2に、「閉じた努力」と「開かれた努力」を対比させることでみえにくくなってしまう両者の類似性・連続性を明らかにするという点である。そこでは、「閉じた努力」は「開かれた」側面を有している一方、「開かれた努力」は「閉じた」側面を有しているという逆説的な議論を行う。

本稿の構成は次の通りである。2節では、先行研究の検討を行い、本稿の位置づけを明確化する。3節では、「閉じた努力」の規定要因に関する仮説の設定を行った後、分析で使用する変数の設定を行う。4節では、クロス集計と重回帰分析によって仮説の検証を行う。5節では、本稿の知見をまとめ、その含意について考察し、今後の課題を述べる。

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