2007(平成19)年の改正まで、「学校教育法」に、高等学校の教育目的は「高等普通教育及び専門教育」と書かれていた。中学校の目的は「中等普通教育」、小学校は「初等普通教育」とある。さらに言えば、大学の場合は「知的、道徳的及び応用的能力を展開させる」ことが目的だと書かれていた。
歴史を振り返ると、「高等普通教育」とは何かが、大学の「教養教育」のあり方とも深くかかわる、一筋縄ではいかない問題であることがわかってくる。しばらく歴史をさかのぼってみることにしよう。
「教養」「教養主義」「教養教育」など、一連の言葉と結び付く歴史的な存在といえば、「旧制高等学校」である。その旧制高等学校については、関係者がほとんどいなくなった今でも、高く評価する人が多い。「高等普通教育」というのは、実は旧制高等学校の目的規定として、「高等学校令」(1918年・大正7年)の第1条に書かれていた言葉である。
ただ、注意しなければならないのは、中学校令(1899年・明治32年)にも同じ言葉があり、中学校の「高等普通教育ヲ為ス」に対して、高等学校の方は「高等普通教育ヲ完成スル」と書かれていることである。「為ス」と「完成スル」、この違いに、わが国の大学における「教養教育」問題の根源が隠されている。
旧制高等学校とは何だったのか。1886(明治19)年の発足当初は「高等中学校」と呼ばれていたこの学校は長い間、中等教育の一部、中学校の一種であり、帝国大学進学者のための「予科」であった。つまり「高等普通教育の完成」とは無縁の、帝国大学での専門教育に必要な、予備教育の場だったのである。
1894(明治27)年に中学校令とは別に出された旧「高等学校令」でも、その「大学予科」としての位置付けは基本的に変わっていない。言い換えれば、1918年の改正まで、旧制高等学校は、「教養」とも「教養教育」とも無関係の教育機関であった。
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