新生富山大学は、旧富山・富山医科薬科・高岡短期大学の国立大学法人3大学が2005年に再編・統合し、現在の形となった。この時、旧富山大学の教育学部は人間発達科学部に、旧高岡短期大学の産業造形・産業デザイン・地域ビジネスの3学科は芸術文化学部に再編され、そのほかの学部はそのままの体制で移行し、新しい富山大学は8学部体制でスタートした。
同大学は、一見、全く別の3大学が統合したように見えるが、歴史をたどるともともと深いつながりがある。西頭徳三(さいとうとくそう)学長は次のように話す。
「富山大学の経済学部と工学部の前身は、高岡市にあった高岡高等商業学校と高岡工業専門学校であり、1949年の国立学校設置法により旧富山大学が発足したときに、工学部以外の4学部は、富山市にある五福キャンパスに移った。その後、工学部の現キャンパスへの移転に伴い、高岡市に高等教育機関がなくなってしまったことから、地域住民は大学の設立を長年熱望していた。その結果、地場産業である漆工芸や金属工芸などの伝統産業を学べる高岡短期大学が、全国でも珍しい国立の短期大学として設立されたという経緯がある。また、旧富山医科薬科大学は、ほかの国立の医科大学とは異なる特色を打ち出すため、旧富山大学に設置されていた薬学部を移行させて、医学と薬学が学べる全国初の国立大学として開学した。このように、3大学は別々の学校ではあったが、歴史的な深いつながりがある(表1)」
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