日本の若者の2人に1人が大学に進学するようになり、その多くが大学を最後の教育機会として、直接、社会に出ている。しかし、就職という形での社会的自立ができず、また、就職できても仕事を継続できないような若者を社会に送り出している大学は、その役割を十全に果たしているといえるのだろうか。
人材育成や大学教育と社会の接続の観点からすると、今の大学は明らかに「機能不全」に陥っている。責任は大学だけにあるわけではない。企業や産業界は大学教育を軽視し、採用にあたっては学校歴やクラブ活動の有無を重視してきた。近年の就職活動の早期化は、大学教育の軽視どころか破壊にもつながりかねない。大学と企業はそれぞれの責任を果たさないまま、ディスコミュニケーションの状態にある。大学と企業・産業界は、人材育成について、対話、連携を深める必要がある。
急速に変化・発展する科学技術がもたらすイノベーションは、職場とそこで働く労働者に、より高度で複雑な知識や能力を求める。このような「知識基盤社会」の中核的人材として期待されている大学卒業者(学士)には、知識の多寡ではなく、「知っていることを生かして何ができるのか」「学んだ知識で、どのような新たな知識やモノを生み出すことができるのか」という能力が問われる。
今後ますます進む労働市場の流動化は、われわれの生涯が複数の職業・職種・就業先の組み合わせによって構成される「ポートフォリオ社会」の到来を現実のものにする。
大学で身に付けるべきことは、専門分野の知識や技能よりも、むしろ、どのような職種や就業先でも共通に必要な能力や、学び続けるための学習力(生涯学習力)である。これまでの、定年まで同じ職場で働くことを前提とした専門教育重視の教育は、不確実な社会への準備としては不十分だ。今、あらためて大学(学士課程)のあり方が問われている。 |