長田 立命館アジア太平洋大学(APU)が大分県、別府市をはじめ、国内外の多くの人々の協力を得て、この十文字原に誕生してから10年がたちました。これまでをどのように総括しておられますか。
是永学長(以下是永) 本学の存在自体が一つの「奇跡」といってよいと思います。本学は開学前に「3つの50」を目標に掲げました。「国際学生の割合が50%」「学生の出身国・地域が50以上」「外国籍教員比率が50%」です。現在、国際学生の割合は47%、外国籍教員は44%と目標に大きく近づき、学生の出身国は98か国・地域に及んでいます。
開学当時、私は大阪外国語大学にいました。自分が育った大分に大学ができると聞き、すごいところに作るなという漠然とした印象しかありませんでした。それが、わずか10年でこれだけの国際色豊かな大学に成長し、社会からも高い評価を得ています。日本の高等教育史上、特筆すべきことではないでしょうか。
長田 なぜ成功を収められたとお考えですか。
是永 開学までに6年の準備期間があったことを忘れてはなりません。1期生の入学定員は800人でした。その半数の400人を国際学生(外国人)にしようという目標を掲げていたわけですから、相当な努力が必要だったと思います。中国、韓国、タイやインドネシアなど、数十か国に赴き、大使館を通して広報したり、現地の高校を訪問したり、大学の理念を知ってもらうために大変な努力をしたと聞いています。
1996年には「アドバイザリー・コミッティ」を設立し、200人以上の世界各国の元首や大使、経済人から大学の運営についてさまざまな協力や助言をいただいています。
また、学生自身も大きな存在です。学生は本学で生き生きと学び、生活を送り、彼ら独自のネットワークを持っています。キャンパスのメーンストリートを歩いている姿を見ると、学生のパワーが日々本学を進化させていると感じます。
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