指導変革の軌跡 大阪府・私立大阪学芸高校「学力向上」
東京都・私立大阪学芸高校

大阪府・私立
大阪学芸高校

2003年に創立100周年を迎えた。建学の精神「徳器成就」は、徳に満ち、礼節を重んじる優秀な人材を育てることを意味する。98年に男子校から共学となり、近年、進学校への転換に成功。

設立●1903(明治36)年

形態●全日制/普通科/共学

生徒数(1学年)●選抜特進コース約40名、特進理数コース約40名、特進(国英・国際)コース約240名、進学コース約160名

06年度進路実績●関西大47名、関西学院大20名、同志社大13名、立命館大64名と、関関同立に延べ144名。京都産業大、近畿大、甲南大、龍谷大にも延べ144名が合格。国公立大合格者は大阪市立大など12名。

住所●大阪府大阪市住吉区長居1-4-15

TEL●06-6693-6301

WEB PAGE●http://www.
osakagakugei.ac.jp/senior/


近藤永

▲大阪学芸高校教頭

近藤永

Kondo Ei

教職歴・大阪学芸高校赴任歴共に19年目。「生徒には、何事にも感謝する心の大切さを伝えていきたい」

森松浩毅

▲大阪学芸高校

森松浩毅

Morimatsu Hiroki

教職歴・大阪学芸高校赴任歴共に19年目。2学年主任。「思いやりのある素直な生徒を育てたい」

山崎和浩

▲大阪学芸高校

山崎和浩

Yamasaki Kazuhiro

教職歴16年目。大阪学芸高校に赴任して15年目。進学指導部長。「シンプルに生徒にとってプラスであるか、マイナスであるか」

山本健司

▲大阪学芸高校

山本健司

Yamamoto Kenji

教職歴11年目。大阪学芸高校に赴任して7年目。3学年主任。「しんどいことも乗り越えて成長してもらいたい」

中村啓子

▲大阪学芸高校

中村啓子

Nakamura Keiko

教職歴10年目。大阪学芸高校に赴任して6年目。教務部長。「あきらめず、最後まで粘れる人間になってほしい」

兼松秀幸

▲大阪学芸高校

兼松秀幸

Kanematsu Hideyuki

教職歴10年目。大阪学芸高校に赴任して6年目。1学年主任。「生徒には、先に先に動けるような人になってほしい」

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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指導変革の軌跡73


大阪府・私立 大阪学芸高校 「学力向上」

目標設定と組織づくりで進学校化を実現させる

● 実践のポイント
関関同立にターゲットを絞り、講習や早朝テストなどを整備
コース別に教頭を配し、中間管理職がリーダーを担う組織改革を断行
授業評価アンケートやカルテなどを通じて、生徒の満足度を高める

コース新設も有効打にならず生徒減の危機的状況に

 大阪学芸高校は、近年、関関同立への合格実績を着実に伸ばしている(図1)。その効果によって、2006年度の高校入試では志願者が2000名以上集まった。しかし、6年前の00年度、大阪学芸高校は危機的な状況にあった。この年、入学者数が激減し、1学年11〜13クラスだったのが8クラスに減ってしまった。

 「このままでは学校の存続も危うい」

 教頭の近藤永先生は、危機感を募らせていた1人だった。

 「進学校でもない。スポーツも強くない。宗教のバックボーンもなく、大学の付属校でもない。学校の特長がなかったのです。少子化の影響で徐々に入学者が減っていましたが、00年度に1学年300名を割り、多くの教師が危機感を抱きました」

 それまで何も手を打たなかったわけではない。96年に校名を成器高校から現在の大阪学芸高校へと変え、98年には男女共学の国際コースを新設した。しかし、それらの改革は、志願者増の決め手にはならなかった。

 危機感を抱いたのは、現場の教師だけではない。理事会は二つの改革ビジョンを打ち出した。一つは、進学校化だ。特に関関同立の実績向上を目指し、当時22名だった合格者を「5年後50名、10年後100名にする」と数値目標を掲げた。二つめは組織改革だ。当時を知る教師たちは「激しい議論を交わした」と口を揃える。

 「本校は校長と教頭以外の教師は横並びの組織でした。それを『特進コース』と『進学コース』それぞれに教頭を置き、学年主任や各分掌の部長を中間管理職と位置づけました。このメンバーで校務会議を運営し、学校の方針を決めるという形に変えたのです。その過程では、ときには激しい議論もありました」(近藤教頭)

 教頭をはじめとする約10名の教師たちがミドルリーダーを務め、改革を進めていくことになった。

図1

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