シンポジウム「学習基本調査を通して考える学ぶ意味と主体性
~これまでの25年、これからの25年~」

●第2部「学びの未来を考える」

[話題提供]
4)「学びの未来を考える」   秋田喜代美(東京大学大学院教授)
変化する社会で本当に変えていかなければならないことは何か

25年後、日本と世界はどうなるのだろう。国際会議に出ていると、既に日本はアジアの中心ではなくなっていることを、実感する。教育改革のキャッチアップだけなら、シンガポールや中国の方が速い。大きく変わる大変な時代になっている。

例えば今「ポケベル」を使っている人はいない。変化が激しくても、キャッチアップできていないということはない。変化の中で、何に適応し、何を変えなければいけないかを考えていくことが必要ではないか。

これからの時代、簡単に教えられることは、自動化・デジタル化され、アウトソーシング(外注化)される。ルーチンワーク(手順が決まりきった作業)は減り、創造的なもの、人間の判断が必要な仕事が残される。今後、生身の人と人とが関わり合いながら共に創り出していく能力が必要になるならば、それを教室や家庭、地域社会でどう担うかが問われてくる。未来に必要な資質として、OECDは、学校だけではなく、学校・家庭・地域で一緒に育まなければならない「社会情動的なスキル」も提言している。


大切なのは幼児期からの学びの連続性

OECD(経済協力開発機構)も引用しているハーバード大学の「21世紀の学習者の学びの4次元」では、知識、スキル以外に人格、メタ・ラーニング(学び方を学ぶこと)の必要性を示している。従来の学力である知識・スキルだけでなく、学校教育では測定しづらいが、社会に出てから非常に大きな影響を与える力として人格やメタ・ラーニングの重要性が言われるようになっている。「知識」といってもオンラインに情報はあふれており、その中で何が重要な概念かを判断し、課題を発見し解決していくスキルが、教科を超えて求められている。知識やスキルを育てても、倫理観や使命感を培っていなければならない。社会情動性や、心身の健康も含めた「幸せになる力」も求められる。教育の未来を語ることは、子どもたちの幸福や自己実現を考えることだ。

これからの子どもたちに必要な学習は「深い学び」「協働的(対話的)な学び」「主体的な学び」だと言われている。そのためには探究を通した深い学びのための問題解決学習(PBL:Project Based Learning)が求められるが、最も重要なのは取り組むべき課題を設定する能力だ。それには、乳幼児期からの「気付き」も必要になる。

子ども一人一人の尊厳が大事で、学びだけが強調されるのではなく、人生を長い目で見ることが大事で、もともと日本は「見守る」など、それを得意としてきた。全ての子どもに格差なく、落差(学校間)なく、段差なくやっていく。内容の系統性や知識・スキルという「タテの教育」と、学びに向かう力・社会情動的スキルという「ヨコの教育」を、幼児期から高等教育、市民へとナナメに、家庭や社会・専門家とともに行っていかなければならない。2030年の社会はどうあるべきかという「出口」からではなく、積み上げていく発想が大事だ。

 
5)「子どもたちに創造的な学びの場を
   ~遊びと学びの秘密基地 CANVASの取り組み~」
           石戸奈々子(NPO法人 CANVAS 理事長、慶應義塾大学准教授)
本当は子どもは「学校が好き」なのに

先日、小学生の子どもたちと一緒に、これからの学び、未来の学校はどうあるべきかを考えるイベント(アイデアソン)を開催した。今の学校のどこが不満か尋ねると、「先生が怖い」が圧倒的に多く、他にも「体育館が寒い」「教科書が重い」といった、さまざまな意見が出た。では、どう変わればいいかを考えてもらうと、「知識は寝ている間に頭に入っちゃえばいい」「社会科の部屋が世界中の先生とつながって、今起きている本当のことを教えてくれたら面白い」「1人1台のロボットが専属家庭教師になれば、自分のペースで勉強できる」など、いろんなアイデアを出してくれた。いろいろ言っていても、ほぼ全員が「学校が好き」と言う。学校に何を求めているかというと、子どもたち同士や先生とのコミュニケーションだ。

CANVASは13年前から、これからの子どもたちに必要となる主体的・協調的・創造的な学びの場を、産官学連携で作ろうと活動をしている。それも、学校や家庭だけに任せればいいのではなく、学校も家庭も企業も地域も一体になって、これからの子どもたちの学びを考える環境が作れないかと考えて始めた活動だ。


500人のワークショップが10万人に

大人になるころには65%の仕事がなくなるような時代を生きる子どもたちに、どんな力が必要なのか。世界中の多様な価値観を持った人たちと協働して新しい価値を作り出す力、言い換えれば、コンピューターには決して代替できない創造力とコミュニケーション力こそが大事だ、と考えてワークショップなどを行っている。初めて開催した10年前は500人の参加だったが、今は10万人までに広がった。保護者にも新しい学びの場に対するニーズが高まっている気がする。3日間のサマーキャンプに参加した子どもの保護者からは「生活態度が良くなった」「意欲的になった」という声をいただく。子ども達にしたら、初めて出会った子とチームを組んで1つのものを完成させるということが成功体験になり、全てのことに意欲的に取り組むきっかけになったのではないかと思う。

21世紀型スキルを子どもたちにも分かる言葉にすれば、「かんじる力」「かんがえる力」「つくる力」「つたえる力」が大事であると考え、そのスパイラルが生まれる活動を大事にしている。カリキュラムの視点としては、①学び方を学ぶ、②楽しく学ぶ、③本物と触れる、④協働する、⑤教え合い、学び合う、⑥創造する、⑦発表する、⑧プロセスを楽しむ、⑨答えはない、⑩社会とつながる――を大切にしている。

また、プログラミング教育を全国に広げる取り組みも展開している。プログラミング教育を各地で行うときには地域コミュニティを作るようにし、その活動はPEG(Programming Education Gathering)という名称で、各地で「ギャザリング活動」を行っている。例えば、北九州ギャザリングなど、その地域ごとに企業や行政、教員、主婦の方などいろいろな方が参加するコミュニティを作り、地域の方々の支援のもと、プログラミング教育を推進している。学校外だけでなく学校内でも実施しており、学校内の取り組みを地域の方が支援するという体制を作って新しい学びを学校の中にも入れていけないかというチャレンジをしている。

将来65%の仕事がなくなるのなら、65%の仕事を作らなければならない。子どもたちがもっと新しい仕事、新しい社会を作ってくれるのではないかと期待している。

 
6)「子供の主体性は 大人の共助再生から」
             浦崎太郎(岐阜県立可児高等学校 教諭)
いまなぜ地域での学びなのか

データを見ると、高校生は決して主体性が高まっているわけではないと感じている。今日は、学校教育に地域環境が及ぼす影響について話をしたい。学力向上も、学習意欲も、主体性も、自然やコミュニティーなど、子どもを取り巻く地域環境と切り離して考えることはできない。昔は遊びの土台の上に学びがあることにより、学校での学びが負担なく定着できた。今は子どもの生活から遊びが奪われ、動機付けも授業の中で行わなければならなくなっている。中学生の時から、暗記はしていても、じっくり理解することがなくなっている。高校に来れば、動機付けも基礎学力もないまま、志望大学に現役で合格することが要請される。それでは意欲があり学力のついた人が大学に送り出されるはずはない。地域から活動が奪われ地域の教育力が低下し、その分学校にますます負担がかかり、学校のパフォーマンスが落ちる、という状況がある。地域を抜きにして学びを語ることができない。

なぜ地域の教育力が下がったのか。キーワードは「高度分業化」である。高度分業化で大人は社会に参加しなくなり、地域の教育力が低下する。そうすると学校に負担がかかり、学校は余裕がなくなり管理統制を強める。そのような学校で環境に適応できる児童生徒は、管理統制に負けない強者か、運良く学校の在り方と合致している者か、魂を売って指示に盲従する道を選んだ者だ。最後の者が一番増えている気がする。


地域のひとりひとりが教育改革の担い手

教育の今日的状況を打開するのに必要なのは、大人が社会形成に参加することであり、子どもに関わる大人たちには、学校や塾に任せきりだった次世代の育成を、社会総がかりで育む覚悟が必要になる。大人自身が社会を形成する活動に参加することで、子どもも社会に出やすくなって、学びの基盤が充足され、最終的に学校教育も十全に機能するようになる。コミュニティーが再生すれば、保護者も安心して子どもを育てることができ、子どもも落ち着いて授業を聞くことができ、学力も向上する。学力崩壊は、その逆だ。

みんなが「教育とは学校で教員が教えるもの」という固定観念を持っているから苦しむのだ。立場を超えて、子どもの学習環境を作っていかなければならない。アクティブ・ラーニングとは、生徒に上手にグループ活動をさせればいいというものではなく、教師が学校の外で、いろいろな人たちと課題解決に取り組むことの方が、はるかに重要だ。

可児高校では、地域と連携して、学力向上と地域再生を一緒にやっていこうと、地域主体のキャリア教育に取り組んでいる。1年生全員が、NPOのコーディネートで地元諸団体が主体となった地域課題解決プロジェクトに参画し、地元の大人と会話したり、大学生と交流したりして、自分の在り方を考えていく。可児市議会との協働したプロジェクトではマニフェスト大賞もいただき、社会との連携が進んでいることを実感している。

 
7)【参加者によるディスカッション】
   問い:①未来に学びに必要なことは何か②そのために誰が何をすべきか

各グループで、①未来の学びに必要なこと、のうち特に重要だと考えることを決めてもらい、それについて②誰が何をすべきか、をワークシートにまとめてもらった。代表して3つのグループに話し合った内容について発表いただいた。

【グループ発表1】

未来の学びには、協働する力、つながる力が必要。そのために、①教員は学校を開き、「チーム学校」や協働、学び続ける力が必要、②教育委員会や文部科学省は、教員を増やすと同時に質も向上させ、ICTの活用や学校間のつながりを図る、③地域は、子どもたちを育てる支援員を増やし、コミュニティ・スクールを機能させ、学校を支える、④家庭の教育力低下や格差の解消に取り組む。

【グループ発表2】

未来の学びに必要なことは、①地域の実態や特色に応じた教育施策、②教師自身の変革、③本物を見せる仕組み、④課題をしっかり把握し発見できるようにする。そのために、①に対しては、市町村の首長や教育長が、その地域に合った教育施策を考える、②④に対しては、教師自身が地域へ出ていく、③に対しては、学校は企業や地域の協力を得ることが必要。

【グループ発表3】

未来の学びは、主体的に新しいことをやっていき、なぜ学ぶのかを話し合う機会を設ける中で、それらの活動からの気付きが、外部との連携につながっていく。地域のコミュニティーが学校の負担を補っていくためには、まず地域の人たちが顔の見える関係を作り、地域コーディネーターが学校につなぐ。そのために国や行政がノウハウを提供していく。

 
8)パネルディスカッション ~今日の議論振り返り~
見えてきた課題:「格差の解消」「考える力の育成」「協働・連携」

木村:前半にフロアから出てきた課題をみると、1つは「格差」をどうするかという指摘が多かった。もう1つは、教え込みすぎているのではないかという課題。「考える力」をいかに高めるか、教え合い、学び合う力をどう育てるか。また、そのためにコミュニティーでどう連携、育成するのか。この2つについて、先生方に感想をうかがいたい。

耳塚:2点述べたい。1つ目は、教育格差について。教育格差の解消には雇用対策や経済的支援も必要だが、学校ができることも大きい。研究結果からは、家庭学習指導や管理職のリーダーシップ、教員研修の充実などが格差の少ない学校に共通の特徴である。ただし先生の負担が大変であり、行政も加配などお金をかける必要がある。もう一つは、大学生がノートを取れなくなっている。ノートをとるという行為は、要点をつかみ、書き取ると同時に全体として何を述べられているかを理解するという能動的な作業である。形態にとらわれず能動的な学習者を育てることがポイントだ。

秋田:格差の問題について、小学校に上がる前に既に発達の格差が大きくなっていることはグローバルにわかっている。しかしそれを埋めていくのは教育や保育の質であり、語彙の量などだけではない。伝え合う必然性のある活動をして語彙を豊かにしていく。対話とは他者の意図を聴き、それを掘り下げ、相手の意図を明確にして、考えを深め続けること。そういう関係の輪を、教師と子ども、子どもと子ども、子どもと保護者で深めあっていくということがどんな年代でも中核になっていく。それを乳幼児期から小中高へとつないでいくことが大事。子どもの主体性を引き出すには、一歩引きながら相手の意図をみれるゆとりが大事。また、考える力をつけるためには、考えたくなるような活動や課題に一緒に取り組むことが重要。協働は同調ではない。考える力というのは自分とズレがあるところからしか考えられないので、異質なズレを受け入れられる感覚を身につけていくことが大事だと思っている。

石戸:ICTの活用は、格差の是正に大きく寄与する。MITで「100ドルPCプロジェクト」をやっていて、世界中の発展途上国の子どもたちに100ドルのパソコンを配る、いろいろな知識にアクセスできるパソコンを渡すことが教育への近道なんだという考え方である。韓国でもデジタル教科書の導入は格差是正のためと政府が言っている。2点目の、考える力をどう育むかについては、考える力や主体性は本来、どの子も持っており、それを失わないことが大事。大人ができるのは、場を作り、見守ることだ。コミュニティづくりについては、必要なのは巻き込み力で、実はその力は子どもがもっている。コミュニティづくりをしてきた中で、「子どものために」というとほとんど断られたことはない。子どもは地域の人を集める求心力がある。

浦崎:2つの問いはいずれも同じ問題だと思う。大人が一緒に遊び、考えれば、子どもの格差もなくなる。大人が立場の違いを超えて考える場に高校生を投入すれば、自ら考えるようになる。今は大人の役割が固定化し、細分化されている。大人がその束縛から離れてコミュニティーを作り、遊び、一緒に課題解決することが根本だ。

 
[総括講演]
9)「未来に生きる子どもたちのために」
      安西祐一郎(独立行政法人日本学術振興会理事長、前中央教育審議会会長)
変化の時代、若い世代にはチャンス

表題は皆さんに共有してもらえると思うが、まさに「未来に生きる子どもたちのため」の教育を考えることが重要で、決して「今を生きる大人たちのため」ではない。登壇した方々のおっしゃることとそう違いはない。子どもたち一人一人が主体性を持って、多様な人たちと協力していき、自分を作っていくことが未来の幸せにつながっていくようにしないと、子どもたちにとっても不幸だし、日本の将来もない。

総括として5つ申し上げたい。

1つ目は、「学力」とは何か。「学力」の定義は教育基本法になく、学校教育法にも明示はされていない。「学力の3要素」という用語が長く提示されてきたが、混乱して使われている。「学力の3要素」の中にも「協働」という言葉はない。2014年12月の中教審「高大接続改革」答申では、「主体性を持って多様な人々と協働することを通して、喜びと糧を得ていくことができるようにすること」と、はっきり書かれているのがポイントだ。背景の全く違う地域や他国の人たちと協働する時代の教育を考えていかないといけない。小中学校では協働学習は徐々に入ってきている。課題は、高等学校、大学、その間にある大学入試である。

2つ目は、「幸せな人生」とは、どんな人生か。将来なくなる職業の話が出たが、大正時代に3万5千種類あった職業が、平成の初めには1万8千種類に減っている。家内制手工業の時代から、大量生産の時代に移ったからだ。情報技術が社会のあらゆる場に浸透してくる時代がやってきて、これが今後もっと速いスピードでやってくるのは当たり前。そうした技術革新が、教育の世界に影響を与えるのは間違いない。しかし若い人にはチャンスだ。そういう転換期に思いを致してほしい。若年人口の減少も機会が増えるととらえるべきではないか。


「社会」と「教育」の間の距離をどううめるか

 ※上記画像をクリックすると拡大します。

3つ目は、「社会」と「教育」を隔てているものは何か。それは、大人ではないか。われわれ自身が社会と教育をつなぐことを真剣に考え、実践していかなければいけない。簡単ではないが、それをやろうというのが教育改革だ。生徒や学生には社会の情報があまりにも少ないし、先生方にも、もっと社会とのつながりを持ってもらわなければいけない。それには先生の忙しさを軽減する教育予算の充実も必要。その一方で、自分ができることから解決していくことが大事だ。

では4つ目として、「社会」と「教育」を隔てるものをどうすれば乗り越えられるのだろうか、また5つ目として、「格差」を乗り越えるにはどうすればよいのか。高等学校は設置形態を含めきわめて多様になっている。多様な高校生の基礎学力をしっかり確保する一方で、学びの背景にある格差を解消するには、大人が知恵を絞らなければならない。また、これからの社会で活躍するために学ぶべき能力の育成を、公教育のカリキュラムに入れていく必要がある。特に学習の評価をどうするのか、コンピテンシー評価のスタンダードを作れるか。そして、子育て、教育を「受益者負担」から「国力の源」として位置づける政策の転換が重要だ。


高大接続問題の本質

一番のポイントは、高等学校と大学の教育だ。特に高等学校教育が大きい。その間に挟まれているのが、大学入試だ。高校での評価を、いかに多角的なものに変え、それを入試にどうつなげるかが重要になる。多角的な学びの場で学んできた子が報われる入学者選抜ができるかが問われている。大学は「公平性が担保できるか」「採点ができない」と言うが、子どもが幸せになるために、どちらが大事なのか。家庭環境や経済的支援の状況、障害の有無などの影響で大学に行けない、大都市圏の中流以上の家庭でなければトップレベルの大学には進めない、という不公平さに比べれば、ペーパーテストの1点差にこだわるのはどうなのか。今、高大接続システム改革会議でやっていることは単なる入試改革ではない、日本の将来を賭けるに値する教育改革だ。

今日出された教育や学びの在り方を本当に根付かせていくためには、みんなで力を合わせて実践していかなければならない。未来に生きる子どもたちには、①主体的に生きる、②多様な人々と生きる、③協力して生きる、④感謝して生きる、⑤誇りにして生きる――という態度が必要。それを、世界のどこへ行っても示せる知識とスキルを持てるような学びの場を作っていかなければならない。幕末から明治にかけて日本の教育が転換したように、この近代教育から現代教育への転換期を、みんなで一緒に乗り越えていこうではないか。

 

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