調査室長コラム Ⅱ

第19回 多様さを受け入れることの大切さ

ベネッセ教育研究開発センター 教育調査室長 木村治生 (2009/11/24更新)

身に起きた出来事から

 私事で恐縮だが、部屋の出口にある段差に気づかずに踏み外して、足をひねった。翌日、病院に行くと、靭帯損傷と剥離骨折とのことで、即時、ギプスをすることになってしまった。幸いなことに痛みはそれほどないのだが、いかにも生活に不便だ。しかし、その不便さに気づかされることがいくつかあった。

 最初に困ったのは、ギプスをはめた足に合う靴がないということである。量販店にはたくさんの種類の靴やサンダルが並んでいるものの、どうしてもサイズの合うものがない。大量生産品は安いのだが、特別なニーズには十分対応できていないのだと思い知った。次に戸惑ったのは、歩くペースがつかめないこと。気持ちやけがをした足以外の体は早く前に進もうとし、すぐに前のめりになってしまう。ゆっくり歩くのを「当たり前」と感じるのに、結構な時間がかかった。歩くということに限らず、体の一部に不自由があることで行動を制限する必要が生まれる。外出も控えるので、仕事のペースも落とさなければならない。その中で、自分が日常をいかに急いて過ごしているかを強く認識した。

 そんな経験から、改めて教育の現状を考えてみた。今の公教育が、子どもたち一人ひとりのサイズやペースにどれくらいフィットしているのだろうか、ということについてである。それはきっと、ある程度の環境が整備されていたとしても、「不十分」という解答に行きつくに違いない問いだ。しかし、その不十分さを認識しておくことは、状況の改善を図る上で、とても大切な姿勢に思える。

不登校の児童・生徒

 ニーズに対応できていない子どもがどれくらいいるのかを示す一つの指標は、不登校の数であろう。

図1:全児童・生徒数に占める「不登校」の比率

図1:全児童・生徒数に占める「不登校」の比率

出典)文部科学省「学校基本調査」

 図1は、不登校児童・生徒の推移を示している。これを見ると、1991(平成3)年から98(平成10)年にかけて割合が高まったことが分かる。99(平成11)年以降は横ばいであるが、中学校については36人に1人の割合で不登校になっており、クラスに1人程度はいる計算だ。けっして低い水準とはいえない。

それぞれが不登校になった経緯や背景は異なっており、状況に合わせた支援が求められる。おそらく学校現場の教員や関係機関の職員、専門家は、その努力をしているものと思う。しかし、他の子どもと異なることが明確に分かる子や、他の子どもに合わせることが苦手な子を排除するような雰囲気があったり、受け入れる余力がなかったりするとすれば問題だ。けがをしてみると、社会基盤として整備されているエレベータや、自由に行動できないことに対する周囲の配慮が必要であることがよく分かる。コストがかかり効率は落ちるが、そうしたことに資源を配分できる社会でありたい。

特別支援教育の現状

 このことに関連して、もう一つの資料を示そう。図2は、特別支援教育を受けている児童・生徒の数である。ここからは、指導対象の児童・生徒が増え続けていることが分かる。障害のある児童・生徒については、障害の重度・重複化や多様化、学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)など、対応すべき範囲が広がっている。このような動向を踏まえて、2007(平成19)年4月から特別支援教育制度がスタートした。専門家によると、欧米などと比べ、まだまだ取り組みが不十分だという指摘はある。しかし、数値からは徐々にではあるが、対応が進んでいる様子を読み取ることができる。通級による指導を受けている児童・生徒が増加しており、一般学級での支援も広がっているようだ。

図2:特別支援を受けている児童生徒数

図2:特別支援を受けている児童生徒数

出典)文部科学省「特別支援教育資料(平成19年度)」

 こうした特別支援教育にも、費用の問題から自治体が十分に対応できないというケースがある。また、各学校には体制の整備が義務付けられているが、多忙になる教育現場で配慮が行き渡らないことも多い。個々の子どもにフィットした教育を提供するために実際に投下できるコストを捻出するには、まだまだ乗り越えなければならない課題が多いように思う。

改めて考える

 しかし、改めて考えてみると、不登校への対応にせよ、特別支援教育の拡充にせよ、掛かるコストに対して相応のメリットがあるという思いに至る。私自身は、今回のけがで不便になったことをカバーするための知恵を身に付けた。また、周囲にもフォローをお願いしなければならないが、そのことが助けてくれている人の成長につながっている気がする。思うに、新しい発見や工夫やサービスは、「他と違うこと」「自分にはできないこと」から生まれるのではないか。世の中を暮らしやすくしたり、生活を便利にしたりするものの多くに、そうした発想や配慮が含まれている。

 子どもたちにも、一人ひとりが異なっているということを肌で感じる経験をさせたいと思う。不登校だった子や障害をもつ子をクラスでどう受け入れるかということは、そのこと自体が子どもにとって貴重な教育経験だ。区別や排除の意識を一切もたないこと、教員にはそのことが求められる。今の時代、多様さを内包していることは公立学校の良さの一つである。


 グラフのポイントはココ!

(1) 不登校の児童・生徒は、2001(平成13)年まで増えていたが、それ以降は横ばいである。減らすための新たな対応が求められる。
(2) この10年で、特別支援学級在籍児童・生徒数は1.7倍に、通級指導を受ける児童・生徒数は2倍に増えた。行政や学校現場の努力の様子がうかがえる。

※初出:月刊「教員養成セミナー」2009年3月号(時事通信社)


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