選抜方法の多様化は、多様な人材を募るということでもある。そのために評価尺度を多元化するのであれば、入学後の成績を含むパフォーマンスについての追跡調査にも、同じことが求められるはずである。例えば、積極性やリーダーシップを評価するというAO入試のアドミッション・ポリシーの下で入学させたならば、座学系の講義でどれだけ学び、どの程度の評価を獲得したかと同時に、実験・実習などでどれだけ先導的役割を果たしたかも評価してしかるべきであろう。
従来の追跡調査にそういった観点がないのであれば、AO入学者の活躍ぶりを十分にすくい取れていない可能性がある。選抜方法もさることながら、評価の方法についても再検討が必要ではないだろうか。
さらに、一般、推薦、AOとそれぞれちがう尺度で選抜された学生に、同じような教育的接遇をするだけでよいのか、という問いも成り立つ。リメディアル教育はそれに対する答えの一つであるが、逆に、入試で評価した優れた部分をさらに伸ばすための特別な教育プログラムがあってもよい。入試の多様化は高校側のみならず、実は従来の大学教育のあり方についても再検討を迫っていると考えるべきであろう。
筆者はかなり以前から、一部の大学は別として、大学と高校の制度としての接続地点、すなわち入試の段階で、大学が入学者の質をコントロールするという発想は成り立たなくなっていると考えている。近年の推薦・AO入試の拡大で、大学においてはその自覚化が進むものと期待していたが、実際には、大学教育の現状を維持するためには高校に何を要求していくかという論議が、盛んに展開されているようである。
入試の多様化を求めた1999年の中教審答申は同時に、大学に「入学者の履修歴等の多様化に対応」することも求めた。この要請は、さまざまな学びや学習スタイルを携えて入学してきた学生を、大学内部の多様性の問題としてどこまで引き取ることができるのか、引き取るべきなのか、といった大学側の気力や度量を問うものである。入試の多様化だけでは不十分であることは、10年以上前から指摘されていたのである。
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