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Between(株)進研アドが発刊する高等教育のオピニオン情報誌
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情報公開の対象となる推薦・AOの実態

 日本の大学にAO入試の制度がつくられたのは、グローバル化、多極化という新しい時代への変化を予期してのことだったと言ってよい。実際、大学と学部の教育ミッションに合った受験生に門戸を開くという理念に基づくこの入試制度は、1990年、慶應義塾大学に開かれた湘南藤沢キャンパス(SFC)で創設されたのが最初である。世界が冷戦からグローバル化、多極化に移行したまさにその時期に、AO入試が初めて導入されたのである。
 他方、ある程度大きな規模の推薦入試を日本で最初に行ったのも慶應義塾大学の工学部(現在の理工学部)で、1966年のことであった。推薦入試創設の趣旨は、入学を希望する高校生が受験勉強にエネルギーを消耗せず入学後の勉学に焦点を合わせられるようにしたい、ということだった。この時代は高度経済成長時代への入り口のころで、すでに地盤の確立していた主要国立大学の技術系学部に対抗して、まだ発展途上にあった私立大学の工学部が、入学したい気持ちのある優れた受験生を確保するための思い切った施策でもあったのである。
 SFCのAO入試は20年間、理工学部の推薦入試は44年間の歴史を重ね、いずれも成功していると言ってよい。さまざまな苦労はあったが、長い間一貫した理念の下で実施され、これらの入試による入学者の中から、多数の著名な企業経営者や研究者が輩出している。
 他にも、成功している推薦・AO入試はたくさんある。しかしながら、開拓者たちが続けている成功例は別にして、推薦・AO入試は、教育の質の低下をもたらす元凶を指す常套句として、教育関係者だけでなくマスコミを含め世間一般の人々から、やり玉に挙げられるようになっている。
 実際、2009年度に定員割れした私立大学が全体の半数近くに上る危機的状況の下で、推薦・AO入試は本来の理念を離れ、受験生の囲い込みに使う傾向が顕著になっていることは否めない。
 経営難回避のための受験生確保を目的として推薦・AO入試を使っている大学があるとすれば、自分で撤退への道をつくっているに等しい。なぜなら、大学の過当競争が現実化する中で、特に私立大学は今後ますます情報公開を迫られ、経営内容と教育の質について、さらに厳しい世間の目にさらされることになるからだ。その潮流の中、個別の大学の推薦・AO入試の実態が、白日の下にさらけ出されていくであろう。


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