特集

Between(株)進研アドが発刊する高等教育のオピニオン情報誌
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独自の教育メソッドの確立へ

 プロセシングのコアたる教育力をアピールするものとして、まず思い浮かぶのは文部科学省の「GP」だろう。「現代GP」にせよ「特色GP」にせよ、様々な分野が設定されているが、いずれも独自の教育について評価しているものであり、それはそれとして大学の教育への創意工夫を確認するには格好の材料である。
 一方、数多くの大学が取り組んでいる授業評価も有力な材料となるはずだ。最近はGPへの申請も多いが、その浸透の度合いからみれば、授業評価は教育計画に対して、より大きな基盤を形成していると言える。しかし、この浸透の度合いとは裏腹に、その全体計画性、すなわちカリキュラムを視野に入れた授業評価のPDCAという面では改善の余地が大きいと考えられる。授業評価は、ブランディングの言葉に置き換えれば、顧客とのコンタクトポイントが統合的にコントロールされているかどうかを確認、改善する最良のツールである。
 大学の印刷物には多くの場合、経営層や学部・学科の責任者によって、建学の精神や教育理念が紹介されている。これらはミッションマネジメント上、学外だけでなく、学内にとっても大変重要な指針となる。しかし、ここでより重要なのは、それらの考え方が教育にどう具現化されているか、ということである。「約束」とそれを実現させる「仕組み」、この両者のつながりこそが重要である。
 ミッションに裏付けられた教育のコンタクトポイントのコントロールは、重要な問題である。1人の学生に様々な教員が当たるわけで、このコンタクトポイントの多さは、われわれの日常生活の中ではあまり経験されることのない、教育の世界独特のものである。ただ、このことを理解する上で、良い例が医療の世界にある。チーム医療である。1人の患者に対して、様々な専門家が集まり、最善の成果を獲得するものである。1つのミッションに向かって複数の専門能力がコラボレーションするのだ。
 一般的には、大学のコア機能である教育についての計画の策定と実施、結果の検証、それぞれの過程はまだよく見えてこないと言って差し支えない。第三者評価をはじめ、教育評価のポイントとしても挙げられているカリキュラムの「構造化」こそは、教育のコンタクトポイントのコントロールそのものにつながるが、それはどのようなプロセスで実現されるのだろうか。
 具体的なシーンを思い浮かべるとすれば、それぞれの授業での目標とそれを達成するための方策についての情報共有、それらを通した一定の塊としてのプログラムの約束との整合性についての議論がどこでどのように行われているのか、である。順序としては、プログラム全体の検討が先にあり、次いで個々の授業にブレークダウンされるはずだ。理想を言えば、プログラムを支える各科目は1つの樹形図の中で様々な枝を構成しているはずである。「構造化」のイメージはこの樹形図である。
 いわゆる履修モデルはこれに近い塊と考えられるが、それを塊として捉えた背景にどんな意思があるのかはあまりよく分からない場合が多い。確かにある職業を目指すのなら、領域としてそういう範囲の勉強が必要かと思われる程度の塊の感覚はある。しかし、個別授業を1つのストリームの中で捉えて、前後左右に配置される他の授業との関係において、その授業がどう設計されたのかについてあまり言葉は尽くされていない。学習とは常にある事柄とある事柄を関係付ける力であり、その仕組みをつくるこの「構造設計」は大学教育の幹を成すものだ。大学の教育力の最も中心にあるコア部分は、この「設計力」そのものである。授業と授業との間をどういう意図の下で樹形図として連結させていくのかというソフトこそが、個々の大学の腕の見せ所である。
 中等教育段階まではガイドラインとしての学習指導要領があるが、高等教育段階ではそれ自体を個別の大学がつくらなければならず、それこそが大学のプロセシングの中心である。高額なコストをかける以上、それに見合った成果を結果として身に付けたかどうかという点は、「アウトカム」として重要である。しかし、この「設計力」というソフトを確認せずに表層的なアウトカムを追い求めることは、偶然の結果を「ランキング」にして楽しむ愚に似ている。
 教育の特殊性はサービスの受け手がサービスのプロセスに直接関与している、という点である。どんなに練られたカリキュラムでも、スタート地点を見誤って、学生のモチベーションをマネジメントできなければ成果は得られない。逆に、粗雑なカリキュラムでも、学生のコミットメントの度合いが高ければ、低いクオリティを補って余りある結果を残すことができるかもしれない。だからこそ、われわれは安易に結果のみにとらわれてはならない。
 「わが大学には、いや学部や学科にはどのようなタイプの学生が来ることが多く、だからこういう『初年次教育』を考えていて、その後のプログラムはこのように組んでいる」という計画書に相当するものを広報していくことは、これから教育力がより求められる時代となる中で重要なことである。万一、成果が目に見える形で出ていなくても、この計画を丹念に策定し、それを公開し、例えば半年ごとに見直しが確実になされている大学と、あまり考えていなかったけれどなんとなく結果が出てしまった、という大学とでは、どちらが選ばれるだろうか。
 独自の教育メソッドを持つ大学(学部・学科)と持たない大学、これから問われるのはこの点である。教育メソッドで大学を選ぶ時代がやってくる。いや、受け身的にやってくるのを待つというよりは、それをいち早くきちんと表明できる大学が評価を得ていくはずだ。


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