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第52回 啐啄同機(そったくどうき)
~教育力としての「子どもの成育環境」を回復させる~

2014年06月30日 掲載
ベネッセ教育総合研究所
所長 谷山 和成

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「データで考える子どもの世界」

ベネッセ教育総合研究所設立1周年にあたり

 私たちベネッセ教育総合研究所は、「子どもは未来」というメッセージを掲げ、子どもの成長に寄り添う研究を土台にし、グローバル化かつ複雑化する社会環境における教育政策のあり方を社会に発信し始めて1年が経過しました。あらためて、みなさまのご指導・ご鞭撻に心より感謝申し上げます。

 

 さて、表題は禅宗の言葉です。雛が卵の殻から出てくる時に、親鳥は雛が「自力」で出てくることを促します。その際、親鳥が殻の外側からくちばしで軽く突ついて刺激を与える瞬間を表しています。「自力で出ておいで!」という親鳥と、「うん、自力で出るよ!」という親子の絶妙のタイミングが「啐啄同機(そったくどうき)」なのです。

 私は様々な地域や団体の講演会や会議にお招きいただく際、親鳥を「子どもの成育環境」に、雛を「子どもの自立・主体性」と置き直してお話をさせていただくことにしています。この二つの要素は、子どもが未来を生きるために欠くことのできないものであり、今を生きる私たち大人の責任であると考えるからです。

 ここでは雛(子どもの自立・主体性)を育む親鳥、すなわち「子どもの成育環境」について、国と地域の両面から考察します。

国家存亡の危機とされる人口急減は地域課題の総和である

 先般、政府が発表した安倍政権2年目の成長戦略「経済財政運営と改革の基本方針」いわゆる【骨太方針】は、依然として経済再生を軸とした日本再生戦略であることに変わりはありませんが、四つ掲げた課題の一つに、「人口急減・超高齢化の克服」を挙げ、50年後に人口一億人という数値目標と、2020年を機に少子高齢化による人口減少の流れを変えることを明記しました。そこには地域社会のあり方についても触れられており、「働き場所があり、暮らし続けられる地域社会をつくること」と記述されています。

 しかし、課題の中身は都市部と地方部で大きく異なることはもちろんのこと、地域ごとに異なる課題を抱えており、一括りにはできません(図1-①、②)。それぞれの地域の実情とその背景にある要因を紐解くプロセスが鍵を握るのだと思います。このプロセスこそ地域・自治体が取り組むべき最優先課題であり、その各地域の課題解決の総和がこの国の未来を形づくっていくのだと思うのです。

 

【図1-①】 地域により抱える課題は異なる

【出典】平成22年国勢調査(総務省統計局)より抜粋

 

【図1-②】 地域により抱える課題は異なる

【出典】「平成26年我が国の人口動態」厚生労働省大臣官房統計情報部

地域が自ら再生に動き出した

 ある自治体では、有志によって地域再生会議を組織し、地域の課題解決に動き出しました。地域再生会議のタイトルは「選ばれる街になるために」。

 「20~39歳の若者およびその世帯にとって、この街は"住みたい街"ではなくなってきた。大学進学や就職、結婚を機に、若者が転出し戻ってこない。そのため、地元で結婚し、子どもを産み育てる若い世帯の数や若者の労働力は低下の一途。一方で高齢化は加速的に進行し、地域での医療・介護サービスが間に合わない。これもまた住みたい街でなくなっていく要因ではないか」

 この自治体で起きていることは、政府の骨太方針にも影響を与えた増田寛也氏の『極点社会の到来』そのものです。このような課題意識のもと、活力ある街を取り戻すために、市民参加で熱く、真剣に語り合う新しい会議が各地で動き始めています。街の歴史をつくってきた大人が、自らの責任で子どもが暮らす街の未来のために立ち上がろうとしているのです。

 

 この1年、特に2014年度に入って、私たちの研究所にも地域・自治体のリーダーの方々から、地域のあり方を検討する場への参画依頼が増えています。多くの地域で年々人口が減少し、地場産業もふるわず、地元の活力そのものが失われていくなかで、かつての元気を取り戻すための施策として「地域の子どもの学力・意欲が育つ街づくり」を進めるために、その具体的検討にベネッセにも加わってほしいというものです。いまこそ、地域は何を目指し、どう動き出そうとしているのか。そこにある本質的な課題とは何かを、地域を越えて考える時だと感じています。

環境としての「教育力」をいかに回復させるか

 私は子どもの成育環境としての「教育力」を、地域がいかにして取り戻すかが、“若者が住みたい街=子どもを育てたい街”をつくる大切な一手になるのではないかと考えます。

 かつて子どもたちは、日常生活や子どもたち自身が形成する集団や遊びの中で、大人になってからの社会生活で必要な規範や能力を身につけてきたと思います。その生活環境全体が地域の教育力だったのではないでしょうか。

 しかし現代の生活環境では、個々の家庭のなかで子育てが行われる傾向が強く、かつて日常生活の中で当たり前のように育まれてきた力が育ちにくくなってきているとみていいのではないかと考えます。地域における面倒見や人間関係は希薄になり(図2)、インターネットを使えば子育てや教育に関する情報は十分収集できる環境の中で、子育て・教育に関する生きた情報やノウハウやコツを手に入れたり、そこから自分の考えをもち、子どもに対する愛情と厳しさの葛藤の中で、身をもって親になっていく機会が少なくなってきているのが今なのです。

 学校もかつては、家庭における子育て・教育とは切り離された専門領域と位置づけられていました。今は、学校も社会環境の変化とともに、次第に家庭や地域と相互に支援関係をもちながら、あるべき子育てや教育の効果を高める方向に向かい始めていることが、当研究所の調査結果からも伺えます。

 教育基本法第13条には「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする」と明記されています。子どもを取り巻く環境としての「地域」が教育力を取り戻し、子どもの自立・主体性を育むことができれば、そこに暮らす子どもたちが自分たちの住む地域への愛情を抱き、将来的に住民として、当事者意識をもって地域の課題解決に立ち向かう意識や態度の育成につながるのではないでしょうか。

 

【図2】 地域で子どもを通じたおつきあいは減っている

【出典】第2回 妊娠出産子育て基本調査 速報版(2012年 ベネッセ次世代育成研究所)
※対象:0~2歳の第1子(ひとりっこ)を持つ妻・夫(上記データは妻のみ)

おわりに

 雛(子どもの自立・主体性)を育む親鳥(子どもの成育環境)とは、全国学力テストの点数を上げることだけを目的とした指導をしたり、転入促進のために給食無償化を行ったりといった、目先の点数や人口の数値変化を狙うのではなく、子どもを真ん中において、保護者と教師と地域住民が、子どもたちの未来のために"どんな街にしたいのか""どのような子どもを育てたいのか”といったビジョンや目標を共有し、一体となって関わり合っていく仕組みを地域の中に創っていくことだと考えます。子育て・教育は継続性のうえに初めて成果があり、その積み重ねが教育力を進化させ、結果として地域も活性化させていくのだと思います。

 子育て・教育の現場の一番近くにいる民間研究所として、設立1周年の節目にあたり、政府が掲げる新しい成長戦略と地域にある現実のギャップやジレンマの解決に、地域のみなさまとともに一層努力を重ねていきたいと意を強くいたしました。

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著者プロフィール

谷山 和成

ベネッセ教育総合研究所 所長

1983年㈱福武書店(現ベネッセコーポレーション)入社。ベネッセコーポレーション九州支社長、児童教育カンパニーバイスプレジデント、執行役員補、㈱東京個別指導学院代表取締役社長を歴任。2013年、グローバル化と教育環境変化の加速化を背景に研究機能を統合し、新たに「ベネッセ教育総合研究所」を組織し、現職に着任。

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