シリーズ 未来の学校

開校22年目、子どもたちの自主性からすべてが始まる山間の自由学校

【後編】 自己決定と個性が切り拓いた、卒業生の未来 [2/4]

 海外より大きかったカルチャーショック

「きのくに」の子どもたちに対する印象は、『みんな学校生活が楽しそうで、自主性があり、個性的で、生きるための具体的な知識と技術を身につけている』という極めてポジティブなものばかりだ。ただし、ネガティブな要素が無いわけではない。それは、「きのくに」から一歩外に出たときに、これまで通用していたルールや考え方が通用しないのではないか、という不安である。それでは、「きのくに」の卒業生たちが社会に出ると、どのような大人になっているのだろうか。今回2人の卒業生から話を聞くことができた。

1人目は、高原恵さん(以下、高原さん)。現在、NPO法人「セカンドハーベスト・ジャパン」でボランティアマネージャーを任されている。このNPOは、安全に消費できるにも関わらず様々な理由で廃棄処分になった食品を、食品関連企業や個人から無償で引き取り、生活困窮者や福祉施設などに無償で届ける日本初のフードバンク団体だ。高原さんの業務は、食品の運送、梱包、炊き出しなどに関わる年間5000人のボランティアの募集から連絡、調整、日々の運営まで多岐にわたる。小学校3年から中学までをきのくに子どもの村で過ごした高原さんは、高校も併設の「きのくに国際高専」に進んでいる。

高原 「きのくに国際高専」を卒業後は、日本だけに縛られない様々な価値観を学ぶために、カナダのトロントにあるヨーク大学に入りました。トロントは多様な価値観を学びたい自分にとって、クラスメート全員の国籍が違うという、すごく恵まれた環境でした。おかげで、いろいろな人のいろいろな視点を学ぶことができました。大学卒業後は日本の一般企業に就職したのですが、その時日本で教育を受け就活をして入社した人と久しぶりに接触して、海外に行った時よりもカルチャーショックを受けました(笑)。

取材班 日本企業ではどのようなカルチャーショックを受けたのでしょうか。

高原 まずは上下関係です。「きのくに」でもヨーク大学でもほとんど上下関係はなかったです。それに、日本企業では何事にも自分の意見を言う機会があまり無かったです。大学では文化人類学を勉強していましたが、日本の企業に入るということは、まるで文化人類学者が異国の生活や文化のことを学び、受け入れなければならないようだ、と思いました(笑)。それはそれで面白かったのですが、縁あって「セカンドハーベスト・ジャパン」に勤めることになりました。

取材班 現在勤めている、「セカンドハーベスト・ジャパン」はいかがですか。

高原 ここの職場は上下関係がほとんどなく、自分で企画したことを実行するという面では自分には合っています。

取材班 「きのくに」で学んだことは生かせていますか。

高原 「きのくに」で学んだ事はどこか部分的に生かすというよりは、自分のすべてのベースです。敢えてどこかを挙げるとすれば、ものをゼロからつくりあげていく楽しさです。例えば、私が属していたプロジェクトの「工務店」では、何もないところから庭をつくり、池をつくり、花を植え、喫茶店もつくりました。そういう経験から、ものづくりの楽しさを学びました。また、私が関わっているボランティアの人たちは、さまざまな考え方やモチベーションをもっています。いまの仕事は、その方々の意見を理解することがとても大切です。多様性を前提としていろいろな考え方を理解するうえで、「きのくに」のミーティングで学んだことは生かされていると思います。

取材班 現在の仕事の魅力と今後の展望を教えてください。

高原 「セカンドハーベスト・ジャパン」に入って今年で4年目になります。毎週100人以上、年間で5,000人以上のボランティアスタッフとお会いしているのですが、みなさんさまざまな背景をもっています。例えば土曜日の炊き出しは、路上で生活している人から、大手企業の人、外国人労働者、主婦や学生まで、さまざまな属性の方々がボランティアとして参加します。このような世の中のいろいろな人たちが参加する仕事を、担当者として関わりながら学べることが魅力です。大人になってみると、自由に働くためには実力が必要だということを実感します。だからこそ、自分の実力をもっと高めて、今よりもっともっと自由に仕事ができればいいな、と思います。


さまざまなボランティア参加者をコーディネートする仕事は決して簡単ではないはずだ。しかし「きのくには自分のベースです」と、笑顔でごく自然に話す高原さんからは「充実した今」が感じられた。

ページのTOPに戻る