「発達障害のある人たちの就労に関わる問題」
北海道芽室町 プロジェクトめむろ編【前編】

本テーマのフォーラム第3回は、自治体が中心となって障害者の就労支援に取り組んでいる北海道芽室(めむろ)町の「プロジェクトめむろ」についてご紹介をします。前編では、プロジェクトの発起人ともいえる宮西義憲町長の思いや、プロジェクト始動の経緯、発達障害の子どもたちを支える芽室町の各種施策についてご紹介します。

町長がショックを受けたある風景

芽室町 宮西義憲町長

芽室町 宮西義憲町長

北海道の芽室町は、背後に日高山脈を抱き、十勝平野の中西部に位置する人口約1万9千人の町だ。約42%が農地、約40%が山林という豊かな緑に恵まれ、小麦・てん菜・ばれいしょ・豆類・スイートコーンなどの畑作では道内有数の生産量を誇る。

この芽室町で2006年から町長を務めている宮西義憲さんは、町長に選出される以前、同町の教育長職に就いていた。教育長時代に、事務室の横を通って隣の図書館まで自転車で通う小学生くらいの女の子と出会い、それが芽室町のさまざまな障害者支援策を生むきっかけとなった。

宮西町長は、当時のことをこう話してくれた。
「子どもたちが学校に行っているはずの時間に、その女の子が図書館に通う姿を見ても、教育委員会の職員は誰も何も言わないんです。不思議に思った私は、『ねぇ、あの子どうしたんだろう』と職員に尋ねました。すると職員は、『不登校の子です』とあっさりと言ったんです。」教育関係者である職員が、ある子が「不登校」だということを当たり前のように受け入れている現実に、宮西町長はショックを受けたという。

「その子が持っているはずの『等しく教育を受ける権利』を、行政はきちんと支えているのだろうか、と疑問を持ちました。教育行政がこの権利を支えられないようでは、駄目なんです。その子のためにみんなで何ができるか考えようと協議し、すぐに不登校対策室を開設しました。」

不登校対策室には、スクールカウンセラーを配置した。すると、不登校対策室に子どもたちが集まり、芽室町にも多数の不登校児がいたということがわかったという。

 
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守られているのか、すべての子どもの社会

こんなこともあった。ある年、多動性のある男の子が町内の小規模校に入学した。その児童が黙って授業を受けられず席を立ったり、教室を出て行ってしまうと、学級がまとまらなくなってしまう。対応に困っていた学校側の話を耳にした宮西さんは、以前講演を聞いたことのあった精神科の医師を、児童のお母さんに紹介したという。

「実はそのお母さんは、子どもが入学するにあたり、事前に教育委員会に相談に来ていたんです。なので、私も思い切ってそのお母さんに、『専門の先生がいるから診察を受けてみれば? ひょっとして病気かもしれないよ』と言いました。当時のことですし、精神科の診察と聞けば嫌がるのが普通だとも思うんですが、そのお母さんは『診察を受けます』と言ってくれました。」診察を受けたことで、その児童はADHD(注意欠陥多動性障害)だということがわかった。

医師から「3年間ほど信頼できる先生がつけば、この子は落ち着くかもしれないよ」というアドバイスを受けたことから、教育長だった宮西さんは当時の町長に、その児童に補助教師をつけるための予算をもらえるよう直談判をした。議会の承認も下り、予算がついたことを学校に直接報告に行った際の、当時の校長の言葉を、宮西町長は今でもはっきりと覚えている。

「私が『1年生のクラスの問題だけど』と言ったら、校長が慌てて『教育長、すいません。あのクラスの担任の指導力不足は私と教頭がフォローします』と言ったんです。当時は文部科学省が、発達障害という障害のある子が6%いると発表していました。にもかかわらず、教育の現場では障害のある子への対応を十分理解しておらず、教師の力量次第だと思っている。その子の持つ学習の権利、すなわち『社会権』をどうやって保障するのかということが教育現場にまで行き渡ってないのが現実だったんです。」

ADHDという診断を受け、補助教師をつけてもらった児童は、医師の見立て通り数年後には落ち着いて授業を受けたり、なんの問題を起こすこともなく運動会に出たりできるようになった。

子育て支援をマニフェストの柱に

2期8年間務めた教育長を辞めた宮西さんは、2006年に町長選に出馬することになった。出馬の際に作ったマニフェストで、それまでの経験から「特別支援」と「子育てママ」の支援を軸に、子育てサービスの一元化を訴えた。町長はこの2つの軸を中心とした理由をこう話す。「今は少子化の時代ですが、少子化というのは、本当は国家戦略として国がもっと早くから力を入れるべきだったと私は思っています。でも、国のせいにしていても仕方ない。こんな小さな町でもできることは絶対にある。それは何かというと、やっぱり子どもの育てやすさ。子どもにやさしいといわれる町をつくることだろうと思いました。」

そして町長が打ち出したのが、「子育ての木」構想だ。この構想の重要な点は、町民が一度行政の支援サービスを受けたら、その後は子どもや親からの働きかけがなくとも、ライフステージごとに適切なサービスが提供されるシステムを目指している、という点だ。

町長は話す。「子育てしやすい町をつくっていくならば、行政が発達障害のある子どもたちやその家族を支えるのは当たり前のことです。だから、子育てをするママと、支援が必要な子どもをこの木の『幹』として支えよう。そして枝葉がそれぞれの行政施策となって、支援の必要な人がそれらを利用して大人になっていく。そんな支援をしたいなと考えたんです。」

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行政で常に検証される、子どもの権利

2006年に芽室町の町長に就任した宮西さんは、マニフェストを具現化すべく、芽室町の総合計画策定に着手した。そしてまとまったのが、「みどりの中で 子どもにやさしく 思いやりと 活力に満ちた 協働のまち」という、芽室町のまちづくりの将来像だ。

芽室町の恵まれた子育て環境

芽室町の恵まれた子育て環境

この将来像は、まちづくりの基本構想につながる非常に重要なもの。そこに「子ども」という言葉がはっきりと明示されていることは、芽室町の障害者支援策と大きな関係がある。町長はこう話す。「子育て支援の政策理念というのは、障害があろうとなかろうと関係ありません。この町に住むすべての子どもに、個性を大事にしながら生きてもらいたい。生きる権利はみんな同じじゃないかというだけの話なんですね。だから、障害があるかどうかは気にしてないんです。」

同年、芽室町では「子どもの権利に関する条例」も制定された。子どもには「生きる権利・育つ権利・守られる権利・参加する権利」という4つの権利があることを明示したのである。「今、子育てに係わる町役場の職員たちは、みんながこの権利条例を頭に入れて、自分たちが仕事を進めるなかでこの4つの権利が守られているかをいつも検証していますよ」と宮西町長は話す。

 
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子どものライフステージに応じた芽室町の発達支援システム

障害のあるなしにかかわらず、すべての子どもたちの権利を守るための仕組みを作っていく。こうした考えの下、「安心して生み育てることのできる子育て支援」「充実した幼児教育」の取り組みのひとつとして、「芽室町発達支援システム」が整備されている。

芽室町発達支援システム


たとえば、このシステムの初期に位置付けられている「早期発見」。その一つの事業が「乳幼児健診」だが、芽室町では多くの自治体が1歳6ヵ月で行う健診を、1歳9ヵ月の時に行う。これは、「1歳9ヵ月のときに実施した方が、もし発達に気になるところがあったとき、それを見つけやすいからです」と町長は説明する。小児科医、保健師、保育士、心理士がチームを組んで健診にあたっている。また芽室町では母子手帳の交付と同時に「めむたっち」というサポートファイルが手渡されている。子どもの育ちや保護者の思い、幼保や学校での記録も保管できる仕様になっているので、その後個別支援計画を作る段階になったとき、非常に役立つファイルとなる。

2009年に開設された「発達支援センター」では、コミュニケーションや社会性に課題のある子どもたちが、ソーシャルスキルトレーニングを受けることができる。さらに、このセンターを中心として、幼稚園や保育園、小中学校、特別支援学校、教育委員会など関係各所への情報共有や連携がスムーズになされるようなシステムが組まれている。

発達支援システムは、発達支援を要する人たちの就学前から学齢期、さらに就労に至るまでの「縦の支援」(支援の連続性)の構築と、保健・保育・教育・福祉・医療・就労の関係機関間の「横の支援」(支援の一貫性)の構築の両方を実現するために制定されている。このようなシステムを組むことで、「子どものライフステージに応じて、その子に必要な行政サービスを展開する」という理念を実現できるからだ。

母親の声と、職員の声に押されて始まった就労支援

「みどりの中で 子どもにやさしく 思いやりと 活力に満ちた 協働のまち」という将来像を示し、なかでも子どもの権利擁護に重点を置きながら、一つひとつの仕組みを整備していった宮西町長と役場の職員たち。こうした仕事に真剣に取り組むにつれて、担当職員のほうから「町長、これだけでは駄目だよ」という声が出始めた。「中学校を卒業して、高校へ入学してから課題に直面している子もいる」「高校を卒業してから家に引きこもっている子もいる。その子たちも芽室町の子どもなんだから、みんなでまた手を差し伸べようよ」との意見が職員から上がった。

他方で、障害のある子をもつ母親の言葉も、町長の気持ちを動かした。あるお母さんが言った「私の子、発達障害なの。一生勤めることができないと思う。だけどね、せめて仕事の体験だけでもさせてあげたいの」という言葉。別のお母さんからの「うちの子は身体障害者。一生勤めることはないと思う。私も今まで頑張ってきたけど、50歳過ぎたし、この子も20歳過ぎちゃった。最近ね、私が死んだらこの子どうなるんだろうと思ったら、夜眠れなくなることがあるの」という言葉。こうした言葉を聞いて、「障害者が自立するためには就労が必要だ。障害者の就労支援も行政で担っていこう」という意識が町長や役場職員のなかで自然と高まっていった。

「せめて仕事の体験だけでもさせたい」というお母さんの声がヒントとなり、まずは就労体験として、障害のある子たちにできる役場の仕事はないかと、職員も町長も一緒になって探した。その結果、行政広報誌の郵送など、やってもらえそうな仕事がいくつかあがり、実際に役場内で仕事をしてもらうことになった。宮西町長は話す。「仕事の初日に、仕事をする予定の子たちがわいわいと騒いだり、奇声を発したりしながら役場の階段を上がってきました。『おいおい、大丈夫か?』と思うぐらい騒がしかった。けれど3回目ぐらいになると、誰が教えたわけでもないのに、静かに階段を上がってくるようになった。奇声を発する子もいなくなった。そして仕事に少しずつ集中していくようになりました。」

北海道の最低賃金は時給786円(2016年10月1日時点)だが、彼らには現在880円の時給を支払っているという。「どうしてそんなに払うの?」と聞かれることもあるそうだが、理由は明確。業務能率が良いので、安くする理由がないのだ。

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障害者の「自立」とは何か

宮西町長は、「障害のある子がこれからもこの町で生活していくのであれば、障害があることをその子の個性とみなして生きてもらえるようにしたい。なぜなら、個性を大事にして生きるからこそ、自立できるから」だと話す。

人が「自立」するために、一般的には住む場所と、働く場所が必要だ。だからこそ、障害者の就労支援や就労移行支援が全国でなされているわけだが、芽室町のように地方行政が主体となって「就労」についてのサービスを行うケースは少ない。なぜ、芽室町ではそこまでするのだろう。

町長の回答は、「一貫性のある行政サービスを提供しようと思ったら、そこまでやる必要があったから」というものだ。国が公表しているA型事業所、B型事業所の平均工賃(賃金)からわかるとおり、障害者が働いて得られる工賃(賃金)は低いことが多い。この給与体系を変えなければ、障害者が自立して生活するのは不可能だ。芽室町は、役場が中心となって、給与体系を変えられるような就労環境を作っていこうとしている。

「障害者に役場内の仕事を頼むとき、ベースとしてあるのは、それは福祉事業ではなく、あくまでも『就労』だということです。ご両親は、障害のあるわが子の面倒をずっとみられるとは限りません。だから就労支援が必要なんです」と宮西町長は話す。そして、もう一つの重要な視点が「住む場所は、公的な建物をつくればいくらでも用意できる。けれど働く場所づくりは行政だけでは限界がある。だから民間と一緒にやる」という点だ。

町が誇る「農業」を、障害者の職場に

田畑の広がる、芽室町の風景

田畑の広がる、芽室町の風景

就労支援は国の仕事だなんて言っていないで、自分たちでやろう。そうした意識から、行政が中心となって始めたのが「プロジェクトめむろ」だ。

宮西町長は芽室町を紹介する際に、「緑が人を育む協働のまち」という言葉をよく使う。芽室町は農業の盛んな町だが、芽室町の農業就労者のなかには、「親父の背中が格好よかったから俺もやる」といって後を継ぐ人が少なくない。「その人たちは、『日本の食料を俺たちが守ってるんだ』という自負を持っています。自信と誇りを持てるような要素が農業にあるんだから、障害者にも農業に関わった仕事をつくれないかなと思ったんです。」

 
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「行政は甘い」と叱られ続けた2年間

前述したとおり、就労の場づくりは民間との協業があってこそ。そこで町長や職員たちは、2009年からプロジェクトを一緒に進めてくれる企業を探し始めた。芽室町には工業団地があり、約200ヘクタールの工業団地に230社ほどの企業がある。日本一の砂糖工場やチーズ工場、スイートコーン工場を誘致した実績があったので、「プロジェクトめむろ」を一緒にやってくれる民間企業の誘致に動いた。

しかし誘致活動を始めてみると、障害者雇用に実績のある企業に足を運ぶも、叱られて帰ってくる日々が続くことになった。「行政の考えていることは甘い」と約2年間叱られ続けたが、職員も真剣なら町長も真剣。叱った人を講師に呼んで、芽室町内でその人が考える障害者就労の理念を語ってもらう場も作った。

誘致の話が進まないなか、厚生労働省から北海道に出向していた課長が障害者雇用の取り組みをしてくれる企業誘致に職員や町長が奔走する姿を見て、「そこまで真剣なのであれば」と、高知県に本社のある企業の社長を紹介してくれた。その社長が「芽室町の本気度はよくわかった。うちの娘をアドバイザーで派遣するから」といって、現在は農福連携分野で非常に有名な女性を紹介してくれたところから、構想が一気に実現へと前進することになる。四国のあるお総菜メーカーが「芽室町に興味を持っている」という話がきたのだ。

愛媛県に本社のある株式会社クック・チャムは、以前から障害者雇用に取り組んできた。クック・チャムの藤田社長に愛媛まで会いにいった宮西町長に、藤田社長は「いいですよ。芽室に行きましょう」とポッと言ってくれたという。2年間叱られ続け、断られ続けた後での「行きましょう」という言葉は、驚くとともに涙が出るほど嬉しかったと町長は話す。2012年にクック・チャムというパートナーをみつけた芽室町の「プロジェクトめむろ」は、九神ファームめむろを開所して農業に加工作業を組み合わせた事業を2013年4月に開始。2015年2月にはジャガイモの加工作業などを行う嵐山工場を新設し、活動を順調に広げている。

 

町民の意識も変えた、町長と役場職員の本気

プロジェクトめむろ 公式ホームページ

プロジェクトめむろ 公式ホームページ http://project-memuro.com/

「プロジェクトめむろ」を進めるうえで、乗り越えるべき困難はたくさんあった。それらをクリアできたのは、町が「本気」で取り組んだからだという。宮西町長はこう話す。「障害者の問題については、当事者でなければわからない部分もたくさんありますよね。けれど、町が本気で取り組んでいけば、本気で応えてくれる企業があり、成功事例ができる。そういう成功事例が、町民にも見えていきます。」

プロジェクト開始当初は、障害者が働くことに、不安や偏見を抱く町民もいた。けれど障害者の働く姿を実際に目にすることで、理解し受け入れてくれる人が増えた。町民を言葉で説得したのではなく、成功事例を示すことで町民の意識が変化していったと町長は言う。

 

働く障害者の姿が、町長や町役場の職員を動かし、町民の意識も変えた。「これまでの実績をずっと見ていくと、私たちみんなが、障害者に教えられたと思います。我々も、半信半疑で眺めていた人たちも、障害者の親たちでさえも、働く彼らに教えられました」というのが町長の実感だ。

後編では、自立的な農福連携事業である九神ファームめむろの事業内容やビジネススキーム、そこで働く人たちの様子、さらに「プロジェクトめむろ」成功のカギや、プロジェクトの今後の展望を紹介する。

 
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【企画制作協力】(株)エデュテイメントプラネット 山藤諭子、柳田善弘

【取材協力】芽室町 宮西義憲町長、芽室町役場保健福祉課

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