第1回目は少子化の全体像をとらえるため、中京大学教授の松田茂樹先生(社会学者)に、日本の少子化の特徴・要因・対策についてお話しいただきました。
「少子化」とは、合計特殊出生率(以下出生率)2.07を大きく、かつ長期的に下回ることです。日本では1970年代半ばから少子化が始まりましたが、政府が初めて問題と認識したのは90年代に入ってからです。89年に、66年のひのえうまの年の出生率1.58を初めて下回ったことから「1.57ショック」と呼ばれ、それをきっかけに対策がとられるようになりました。つまり日本では、70年代から少子化は始まっていましたが、90年代に入るまでのおよそ20年間は特に対策はなされませんでした。その後、90年代以降の20年間は対策をとってきたにもかかわらず、出生率は下がり続けている、という状況です。ここから考えられるのは、とられてきた対策が「足りない」かまたは「違う」のではないかということです。今日はさまざまなデータを基に、その検証を行ってみます。
「1.57ショック」後に国がとってきた少子化対策は「エンゼルプラン」と「緊急保育対策5か年事業」を中心に、保育所を中心とした子育て支援と、仕事と子育ての両立支援を軸としてきました。正規職員である女性を主なターゲットとした背景には、もともとこの「1.57ショック」の要因として、「女性の社会進出とそれに伴う仕事と子育ての両立支援の困難」が既存研究で指摘されていたからです。
この対策の結果について総務省(2004年)は、保育と仕事の両立支援は、保育所の増設や育児休業制度取得の定着などにより前進したが、それ以外の面はあまり改善されず、出生率も回復しなかったとの評価をまとめています1)。出生率は、この20年間で1.57から1.43(2013年)に下落しています。
これらも踏まえて、従来の少子化対策に足りなかったことを考えると、以下の4点があげられます。①出生率回復の目標(値)がない、②政策のターゲットの拡がりがない、③未対象であったターゲットの中でも、特に典型的家族への経済的負担の軽減と、若者の雇用改善がなされていない(典型的家族とは「夫は仕事、妻は家庭という性別役割分業を行う夫婦と子どもからなる世帯」のこと)、④結婚・出産・子育てをすることへのポジティブキャンペーンがなされていない、です。①と④については、国が戦前にとった「産めよ増やせよ」という国策への反省もあり、国主導でこうした値を立てたり、キャンペーンをしたりということはやりにくい、という背景もあります。次章以降では、なぜこの4点を私があげたのか、その背景となっているデータを中心に紹介します。
1) 総務省「少子化対策に関する政策評価書─新エンゼルプランを対象として」2004年
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